雅工房 『 日々これ好日 』

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嘘も方便なのか? ・ 小さな小さな物語 ( 1759 )

「嘘つき!!」という言葉は、子供の頃には、相手を最も軽蔑する言葉の一つでした。言うときにはかなりの憎しみを込めて、言われたときにはかなりのダメージを受けたように記憶しています。
「嘘つきは泥棒の始まり」「オオカミ少年の話」など、嘘をつくのは良くないと教える話はたくさんあります。
嘘つきの反対は正直者だと思うのですが、「花咲かじいさん」「ジョージ・ワシントンが桜の木を伐った話」など、正直者には良いことがあると教える話もたくさんあります。
しかし、大人になるにつれて、正直が悪いことではないという評価に変わりはないとしても、「あの人は正直者だから」と言う場合、褒め言葉として使うことは少なくて、お人好しだとか、融通が利かないとか、あまり良くない意味で使われることの方が多いような気がします。
その点、「嘘つき」とか「嘘が多い」とか使う場合は、しっかりと非難の意味として使っているようです。

「うそ(嘘)」という言葉が使われるようになったのは、比較的新しくて、平安時代末期の頃だそうです。奈良時代は「いつわり(偽り)」、平安時代頃は「そらごと(空言)」という言葉が使われていたそうです。
ただ、「嘘をつく」という行いそのものは、言葉が誕生する以前、おそらくヒトがヒトらしくなった頃から始まった知恵なのかもしれません。
相手を破滅に追込んでしまうような嘘もあれば、ある人を窮地から救い出す嘘もあるかもしれません。自らの意志でつく嘘もあれば、結果としてとんでもない嘘をついてしまったということもあるかもしれません。

「嘘も方便」という言葉があります。ややもすると、嘘を正当化するために、この言葉を引用することがありますが、少し違うような気がします。
この言葉は、江戸時代にはすでに使われていたようですし、法華経の中にある説話から誕生したともいわれています。また、「方便」というのは仏教語で、「仏が衆生を救うための便宜的な方法」という意味ですが、「仏が嘘も必要だ」と教えているというのは、少々曲解のような気がします。
確かに、必要な嘘はあると思います。その嘘によって救われる人がいる事も確かでしょう。けれども、自分を利するための、あるいは自分が窮地から逃れるための嘘は、ほとんどの場合「悪い嘘」と考えられます。一つの嘘は、それを守るための嘘が必要となり、自分を、あるいは誰かを致命傷に追込んでしまうことになる可能性があります。
やはり、可能な限り、誠実でありたいと思うのです。

「生涯で一番の親友は誰か」という設問に対して、私は即座に名前を挙げることが出来ます。
その男とは、生まれた地域も学校も全く違います。出会ったのは、同じ会社に入ったときで、新入社員研修で一週間ばかり同部屋で過ごしました。その後、その会社は多くの営業所がある会社で、一度も同じ営業所になったこともないのですが、数年間は営業所が近いため頻繁に会っていましたが、しだいに一年に一、二度ということになっていきました。それでも私は、彼はどう思っているか知りませんが、もし大事を相談するのは彼だと思い続けてきました。
その彼には、こんな素晴らしい一面がありました。二人で会う約束をしていて、その後別の行事などが出来てそちらに参加したくなった、断りの連絡をするとき、「どんな理由をつけようかな」と思いながら電話をすると、「じゃ、またこの次にしよう」といって、「どうして」とか「なぜ」と聞くことが絶対にありませんでした。私は、生涯で数え切れないほどの嘘をつくのでしょうが、彼のお陰で、五つ六つは少なくて済みそうです。その彼も、「また、この次に」と言ってくれることもなく、旅立ってしまいました。
残された身としましては、せめて、つかなくて済んだ嘘の枠を、他で使うことのないように生きたいと思っています。

( 2024 - 04 - 18 )