2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧
麗しの枕草子物語 清少納言の夢 私の夢でございますか? 願い事は沢山ございますが、さて、夢といわれますとねぇ・・・。まあ、こんなことは考えてみたりしますわねぇ。 宮仕えしている女房たちが、宿下がりした時などに落ち合って、それぞれの御主人のこと…
歴 史 散 策 『 女帝輝く世紀 』 飛鳥時代から奈良時代にかけては、現在の日本の礎を築いた時代であり、多くの文化が芽生え、 激しい動乱があり、現代に続く多くの秩序が育まれた。 同時に、この時代には多くの女性天皇が誕生しており、まさに『女帝輝く世紀…
『 女帝輝く世紀 (1) 』 国家創成の時 我が国が誕生したのはいつか? この命題は、古来常に存在し、その時々に明快に確定されてきたと考えられる。しかし、現代において、この命題を万人に納得させる答えを提示することは極めて困難と思われる。 そもそも、…
『 女帝輝く世紀 (2) 』 飛鳥時代前夜 我が国の古代の時代区分の仕方にはいくつかの方法があると思われるが、伝統的なものとしては、「縄文時代・弥生時代の前期」を原始時代とし、それ以降を、「弥生時代後期」「古墳時代」」「奈良時代」「平安時代前期」…
『 女帝輝く世紀 (3) 』 我が国の女性天皇 我が国の天皇は、神武天皇から今上天皇まで百二十五代を数える。 この中に女性天皇は十代であり、あとの百十五代は男性天皇であるから、わが国の皇位は男性中心に引き継がれてきたことは否定できない。女性天皇のう…
『 女帝輝く世紀 ( 4 ) 』 女帝の先駆け 我が国における最初の女性天皇は推古天皇とされる。 もっとも、推古天皇即位の頃には、我が国にはまだ「天皇」という称号は使われていなかったので、おそらく「大王」という称号であったと推察されるが、本稿では、便…
女帝輝く世紀 ( 5 ) 女性天皇登場の背景 我が国の最初の女性天皇は推古天皇であるとするのが通説である。 すでに述べたように、実際に即位していたか否かはともかく、また日本書紀に記されている内容をそのまま受け入れるとするならば、神功皇后などはその前…
女帝輝く世紀 ( 6 ) 女帝誕生 我が国の最初の女性天皇は推古天皇とされることは再三述べた。これは、神功皇后、飯豊皇女を天皇と数えないことが条件であるが。 継体天皇についても再々述べているが、この前後に朝廷内で大きな変化があったことは確かである。…
女帝輝く世紀 ( 7 ) 推古天皇の御代 「日本書紀」によれば、崇峻天皇の五年(592)十一月、天皇は大臣蘇我馬子の為に殺され、皇位が空しくなってしまった。そこで、群臣は敏達天皇の皇后である額田部皇女に即位してくれるよう請うたが、皇后は辞退された。百官…
女帝輝く世紀 ( 8 ) 推古天皇の後継 推古女帝は七十五歳で身罷った。 推古天皇を支え飛鳥文化の繁栄に貢献したとされる厩戸皇子と蘇我馬子は共に推古に先立って他界していた。厩戸皇子は七年前に没しており、その後継は山背大兄王となり、蘇我氏には、馬子の…
女帝輝く世紀 ( 9 ) つなぎの天皇 三十有余年に渡って天下を治めて来た推古天皇が崩御した後の後継者の選択は、決して容易なことではなかったと想像される。 推古天皇は後継者を定めていなかったとされるが、当時、後継者は群臣により擁立されるのが常のよう…
女帝輝く世紀 ( 10 ) 再び女性天皇に 舒明天皇の御代はおよそ十三年、決して短い期間ではない。 日本書紀によれば、その間には、大陸との行き来が激しかったらしいことや、天候不順からくる飢饉があったことなどが記されている。しかし、舒明天皇の巻の記事…
女帝輝く世紀 ( 11 ) 大化の改新 『 皇極天皇四年の六月十二日、天皇は大極殿にお出ましになった。古人大兄が傍らに控えていた。 中臣鎌子(のちの藤原鎌足)は、蘇我入鹿が疑い深い性格で、昼夜に剣を携えていることを知り、俳優(ワザオキ・芸人)を使って剣…
女帝輝く世紀 ( 12 ) 皇極天皇の謎 中大兄皇子らによる時の権力者蘇我入鹿を暗殺したという事件は、天皇の面前であったことでもあり大事件であったことは確かである。 現在ではこの事件を「乙巳の変(イッシノヘン)」と呼ぶのが通説で、大化の改新というのは、こ…
女帝輝く世紀 ( 13 ) 皇極から斉明へ 先帝皇極に皇太子中大兄皇子、さらには皇后間人皇女にも去られた孝徳天皇は、失意のうちに崩御する。 群臣の多くも難波の地を離れたとされているから、孝謙天皇が行なおうとした「大化の改新」は多くの賛同を得ることが…
女帝輝く世紀 ( 14 ) 中大兄皇子と大海人皇子 斉明天皇の最晩年、斉明天皇七年(661)一月、六十七歳の女帝は筑紫に出陣した。かねて支援していた百済が新羅・唐の連合軍により滅ぼされてしまったため、これを救援し復活させるためであった。軍勢には、中大兄…
女帝輝く世紀 ( 15 ) 壬申の乱 壬申の乱は、天智天皇崩御後、その跡を継いだ第一皇子の大友皇子率いる近江朝廷軍と、吉野に隠遁していた天智天皇の実弟とされる大海人皇子が率いる地方豪族を中心とした勢力とが激突した、古代における最大の内乱である。 動…
女帝輝く世紀 ( 16 ) 白鳳文化 白鳳文化という言葉がある。天武・持統朝を中心とした時代に興隆した文化を指すが、時には白鳳時代という言い方をすることもある。 その期間には、狭義のもの広義のものと捉え方に差はあるが、天武・持統朝を中心とした40~…
『 女帝輝く世紀( 17 ) 』 持統天皇の登場 壬申の乱を勝ち抜き、新しい王朝を築こうとしていたかにさえ見える大王、天武天皇が崩御した。朱鳥元年九月九日、西暦でいえば686年のことであった。 この朱鳥(アカミトリ、シュチョウ、スチョウ、と読み方は確…
『 女帝輝く世紀 ( 18 ) 』 王朝の構図 持統天皇の即位は、三年を越える称制期間を経た持統天皇四年(690)一月のことであった。 天智天皇(実際は大友皇子)と天武天皇とが王権を争った壬申の乱は、古代最大規模の内戦であった。それに勝利したて天武天皇は天…
『 女帝輝く世紀 ( 19 ) 』 女帝時代の全盛期 夫である天武天皇が崩御し、ほとんど同時にすべてを懸けていたたった一人の御子である草壁皇子を喪った持統天皇は、おそらく歯を食いしばるようにして草壁皇子の忘れ形見である軽皇子の成長を待った。 そして、…
『 女帝輝く世紀 』 終わりに 『女帝輝く世紀』とは、我ながら大げさな表題をつけたものだという気持ちはある。 しかし、我が国歴代の天皇の足跡を、真偽はともかく伝えられている文献を尋ねてみれば、『飛鳥・白鳳・天平』と続く文化の興隆期は、他の時代と…
麗しの枕草子物語 海の旅 およそ海の旅ほど油断のならないものはございませんよ。 うららかなお天気で、海の面はたいそうのどかで、浅緑色の絹布の艶出ししたものを敷き詰めたかのように、全く穏やかで、衵や袴などを着たまだ若い女や、侍風の若々しい男が、…
今昔物語集 巻二十四 今昔物語集巻二十四は、全体の中の位置付けとしては『本朝世俗部」にあたります。 収録されている物語は、全部で五十七話あり、比較的数が多い巻といえます。 その内容は、主として一芸一能に秀でた人物のエピソードが中心となっていて…
天人が舞う ・ 今昔物語 ( 巻24-1 ) 今は昔、 北辺の左大臣(キタノヘのサダイジン)と申す人がおいでになった。 名を信(マコト・姓は源)と申され、嵯峨天皇の御子である。一条の北辺あたりに住んでおられたので、北辺の大臣(オトド)と申すのである。 万…
からくり人形 ・ 今昔物語 ( 巻24-2 ) 今は昔、 高陽親王(カヤノミコ・賀陽とも)と申す人がおいでになった。この方は、桓武天皇の御子である。(「桓武」の部分は意識的な欠字になっている) 極めて細工の上手な工芸の名人であった。京極寺という寺がある…
砧で打った衣 ・ 今昔物語 ( 巻24-3 ) 今は昔、 小野宮の大臣(オノノミヤのオトド・藤原実頼、970年没)が大饗(ダイキョウ・大臣主催の大宴会)を開催なされた時、九条大臣(藤原師輔)は主賓としてお越しになられた。 その時の御引き出物としていただかれ…
変な名人 ・ 今昔物語 ( 巻24-4 ) 今は昔、 ○○天皇(天皇名は、意識的な欠字となっている)の御代に右近衛府の陣に○○(意識的な欠字)の春近という舎人がいた。蹴鞠のたいそうな上手であった。 その春近が、後方の町にある井戸の井筒に寄りかかって立ち、「…
技能比べ ・ 今昔物語 ( 巻24-5 ) 今は昔、 百済川成(クダラノカワナリ)という絵師がいた。世に並ぶ者がないという名人であった。 滝殿(滝のある殿舎の意味か? 大覚寺の滝殿とも)の庭石もこの川成が造ったものである。同じ御堂の壁画もこの川成が描いた…
碁の名人 (1) ・ 今昔物語 ( 巻24-6 ) 今は昔、 第六十代醍醐天皇の御時に、碁勢(ゴセイ)と寛蓮(カンレン)という、碁の名人である二人の僧がいた。 寛蓮は家柄も賤しくなく、宇多院(第五十九代天皇)の殿上法師(昇殿を許された法師)であったので、内…