雅工房 『 日々これ好日 』

日々の出来事を書いています。今昔物語・枕草子などもご案内しています

トランプ関税 突然の合意

難航が予想されていた 日米の関税交渉が
合意に至ったと 日米から発表された
伝えられていない点も あるのだろうが
両国ともに満足できる 結果だったらしい
何と言っても トランプ関税なので
このまますんなり終るのか 若干の不安はあるが
市場は大歓迎らしく 株式市場は爆発的な値上がりを見せている
赤沢大臣のご努力に 感謝 感謝
一方で 石破首相
先手を打っての記者会見も 思惑通りには行かないようで
さて この関税交渉の結果が 退陣の花道になるのか
なお頑張る「よすが」となるのか 騒がしくなりそうだ

                 ☆☆☆ 

暦通りの暑さだが

厳しい暑さが続いている
今日は 二十四節気の「大暑
一年で一番暑い頃だそうで 期間としては8月6日までなので
暦通りの暑さは 覚悟するとして
8月7日は「立秋」なので 暦通りに
秋の気配が感じられるのかな
儚い期待を 描いています・・・

               ☆☆☆  

鑑真和上の渡来 ・ 今昔の人々

   『 鑑真和上の渡来 ・ 今昔の人々 』


聖武天皇の御代、鑑真和上(ガンジンワジョウ・ 689 - 763 )という聖人がいらっしゃった。
このお方は、震旦(中国)の揚州の人である。
十六歳の時に、知満禅師(伝不詳)という僧を師として出家し、菩薩戒(菩薩が受持すべき戒律。大乗戒とも。)を受け、竜興寺(リュウゴウジ・大雲寺を改称した中国揚州の有力寺院。)に住んで修行を続け、すでに老境に至っていた。

その頃、日本国より、仏法を学ぶために、栄睿(ヨウエイ・749 没。興福寺の僧)らが震旦にやって来ていたが、高僧を招聘することも使命であった。
栄睿らは、鑑真和上の高徳に触れ、日本国の仏法を正すために来日することを熱心に嘆願を続け、遂に鑑真は日本国に渡ることを承諾した。
ただ、当時の大陸から日本国への渡航は危険が大きく、鑑真一行は五度に渡って失敗し、その途上で栄睿は病没している。

そして、天宝十二年(唐の元号。 753 )十月二十八日、鑑真は竜興寺を出て六度目の渡航に出立した。
竜興寺の僧たちは、度々の危険に鑑真の渡航を強く引き止め、嘆き悲しんだが、その決意は変ることがなかった。
鑑真には、僧十四人、尼三人、俗人二十四人が随行していた。また、仏舎利三千粒、仏像、経論、菩提子(ボダイシ・菩提樹の一種の種子。数珠に使う。)三斗、その他にも多くの宝物があった。
鑑真の思いは遂に実り、この年の十二月二十五日に日本の薩摩国の秋妻の浦に着いた。
その年はその地で過ごし、翌年の正月十六日に、従四位上大伴宿禰胡満(遣唐副使として入唐し、鑑真を伴って帰国していた。)という人を通して、鑑真和上が震旦から渡来した旨を奏上した。
鑑真は、二月一日に摂津国の難波に到着した。

天皇はこれをお聞きになって、大納言藤原朝臣仲麿を遣わして、鑑真の渡来の目的などを聴取させ、その思いの高邁なることを確認し、正四位下吉備真備を召して、「我は東大寺を建立したが、そこに戒壇を築き戒律を伝えて欲しい。それが、我が望むところである」と命じた。
そこで、鑑真を迎えて、尊び敬った。

その後、早速に、東大寺の大仏の前に戒壇を築き、鑑真和上は戒師として登壇して受戒なさった。続いて、后、皇子がみな沙弥戒をお受けになった。さらに、八十余人の僧たちが受戒した。
その後、大仏殿の西方に別に戒壇院を建て、多くの人々が登壇し受戒した。

その頃、后が病に罹り、なかなか快癒しなかったが、鑑真が薬を差上げると、その効験があり全快なさった。天皇は大変お喜びになり、大僧正の位を差上げようとなさったが、鑑真が辞退なさったので、改めて「大和尚」の位を授けられた。
また、新田部親王という人の旧宅を鑑真にお与えになり住まいとしたが、その地に寺を建立した。それが今の招提寺(唐招提寺のこと。)である。

鑑真和上が、何度も渡航に失敗しながらわが国に渡ってきたことは、よく知られているが、仏教伝来以来まだ日の浅い聖武天皇の御代に、中国仏教の多くを伝えて下さった高僧でもあられたのである。

     ☆   ☆   ☆


同じ夢を見る ・ 今昔の人々

      『 同じ夢を見る ・ 今昔の人々 』


尾張国に勾経方(マガリノツネカタ)という男がいた。
郡司の下役なので、身分はそれほど高くないが生活は豊かであった。

さて、その経方、長年連れ添った妻がいたが、その他にも心を寄せる女が出来、密かに妻同様の関係になっていた。
経方は密かに振る舞っていたつもりだが、こうした事はとかく露見するもので、本妻は、女の常とはいえ嫉妬深く、経方を強く責めたが、経方はその女とも別れがたく、何だかんだと理由をこしらえては、その女の許にも通い続けていた。
本妻も負けてはおらず、「経方があの女のもとに行く」と聞きつけると、顔色を変えまるで乱心したかのように経方を責め立てた。

ある時のこと、経方に京に上るべき用事が出来、いよいよ出立する前日となったが、「何とかあの女に逢ってから出立したい」と思っていたが、本妻は経方の心の内など丸見えで、あれこれ行って外出させようとしない。
それでも遂に、「国府からのお呼びがある」との策略を成功させて、家を出ることに成功すると、一目散に女のもとに向かった。

無事に女のもとに着いた経方は、如何に苦心してやって来たかを語るなどして同衾し、やがてぐっすりと寝入った。
すると、経方は何とも怖ろしい夢を見た。
「二人して抱き合って横になっているところに、髪を振り乱した本妻が走り込んできて、『まあ、あなたは、何年もこのように二人して寝ていましたのね。これで、どうしてやましいことなどない、なんて言えるのですか』などと、散々に悪口暴言を吐きながら掴みかかり、二人が横なっている真ん中に割り込んで引き裂き、騒ぎ立てた・・」と見たところで、夢から覚めた。

目が覚めると、経方は何とも怖ろしい気配に襲われて、急いで本宅に帰っていった。
すでに夜は明けかけていて、京に向かう準備をしながら、「昨夜は、国府での仕事に手間取り、なかなか退出できず、眠っていないので疲れてしまった」と言って、本妻のそばに座った。
本妻は、「早速お食事をなさって下さい」などと言ったが、突然髪の毛が逆立ち、すぐにもとの形で戻った。
経方は、何と怖ろしいことだと見ていると、本妻は、「あなたは、なんと面の皮が厚い人なのでしょう」と睨みつけた。そして、「昨夜は、あの女のもとに行って、二人して愛し合っているときの、なんと憎らしい顔だったこと」と続けた。
経方は、「誰がその様なことを言ったのだ」としらを切ると、本妻は、「なんて憎らしい。このわたしが、夢でしっかりと見たのですよ」と言うので、経方は「おかしな事を言う」と思いながら、「どのような夢を見たというのだ」と訊ねると、本妻は、「昨日、あなたがお出かけになる時、きっとあの女のもとに行くに違いないと思って、恨みながら寝ましたが、その甲斐あって、夢の中であなた方が抱き合って寝ている所に分け入って、散々文句を申し上げたのを、まさかお忘れではないでしょう」と答えた。
経方は、頭が混乱してきたが、さらに詳しくその時の様子を確認すると、自分の見た夢と全く同じ夢を正妻が見ていたらしいことが分った。
経方は、恐ろしさと奇怪さで倒れそうになっていた。

さて、夢といえども、時には真相を映し出していることもあるらしい。正妻が夫と同じ夢を見たのは、正妻の強い念力によるものか執念によるものかは分からないが、このような摩訶不思議な現象は存在しているのであろう。
ただ、経方と正妻のその後については、伝えられていない。

         ☆   ☆   ☆


          ( 「今昔物語 巻第31-10」を参考にしました )


姨母棄山哀話 ・ 今昔の人々

      『 姨母棄山哀話 ・ 今昔の人々 』


信濃に悲しい棄老伝説が伝えられている。

この国の更科という所に住んでいる一人の男がいた。
年老いた姨母(オバ・母方の叔母あるいは伯母)を家に引き取って、親のように世話をしながら、長い年月ともに暮らしていたが、嫁は心中この姨母をひどく嫌っていた。この姨母がまるで姑(シュウトメ)のように、わが物顔で老い屈まっているのをひどく不快に感じていて、常に夫に、この姨母の心がねじ曲がっていると告げ口していたので、「わずらわしいことだ」と思いながらも、中に立って何とか世話を続けていたが、心ならずも粗略になる事も増えていった。
そうしているうちに、姨母はいよいよ老いぼれて、腰は二重に曲った姿になっていた。

その姿を嫁はますます嫌うようになり、「もういい加減に死んでくれるといいのに」との思いがつのり、夫に、「この姨母さんの根性はねじれきっています。もう堪えられません。どこか深い山に連れて行って、棄ててきて下さいな」と何度も夫を責め立てた。
夫は、それはあまりに可哀想だと思って、煮えきれない態度でその場を切り抜けていたが、妻の申し出はさらに激しくなり、夫婦の仲さえも危うく感じられるようになった。
そこで、夫も遂に決心して、八月十五日の月がとても明るい夜に、「おばばさん、さあ参りましょう。寺でとてもありがたい法会があります。お参りしましょう」と言うと、姨母は、「ありがたいことです。お参りしましょう」と言ったので、夫は姨母を背に負って出掛けた。

その男の住まいは、高い山の麓にあったので、その山の遙かに高い峰まで登り、姨母が一人ではとても帰って来れない辺りまで来ると、そこで降ろし、男は逃げるようにその場を去った。
姨母は、「おおい、おおい」と叫んだが、男は振り返ることなく、耳を塞ぐようにして家に逃げ帰った。
ところが、ようやく家に帰り着いてみると、「妻に責め立てられて、こうして山に棄ててはきたが、長年、親のように思って世話をしながら暮らしてきたのに、その人を棄て てきてしまって、ほんとうに情けないことだ」と、しみじみと思われた。
その棄ててきた山の上には、月があかあかと輝いていて、それを眺めていると全く眠ることが出来ず、たまらなく恋しく思われて、
『 わが心 なぐさめかねて 更科や 姨母棄山に 照る月を見て 』
と、つぶやいた。

男は、一夜を眠ることなく過ごし、夜の明けきれぬうちにその山の峰に向かい、姨母を連れ帰り、また、前のように共に暮らしたと伝えられているが、悲しい話ではある。

         ☆   ☆   ☆

       ( 「今昔物語 巻第30-9」を参考にしました )

戦い済んで各党は?? 

   今 石破首相の会見を見ながら このコラムを書いています
   首相続投の意向を 表明しているが なかなか苦しい感じ
   衆議院選挙・都議会選挙 そしてこの参議院選挙と三連敗
   それも惨敗続きとなれば 自民党内が静かなままと言うことはあるまい
   しばらくは 騒がしくなりそうな予感
   その他の党も 惨敗の公明党
   何とも微妙な立憲民主党 大躍進のいくつかの党
   いずれも これからの動きが注目される
   トランプ関税も 各党の公約も
   しばらくは 片手間扱いかな??

                   ☆☆☆
  

大谷サーン 33号を放ったが・・

   『 大谷サーン 33号を放ったが・・ 』

    大谷翔平選手が 33号の特大ホームランを放ったが
    試合には負けた
    ドジャースの このところの成績は悪すぎる
    カンカン照りの猛暑で 家に籠もるお友にはなったが
    これだけ負けても ドジャースが首位なのもなんか変・・
    ところで このカンカン照り 
    参議院選挙の投票率に  どう影響するのかな??

                   ☆☆☆