雅工房 『 日々これ好日 』

関連ブログ 「雅工房『作品集』https://miyabikohboh.hateblo.jp/」 「雅工房『小さな小さな物語』https://miyabikohboh.hatenablog.com/」 

2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

歴史散策 『空白の時代』  表紙

歴史散策 『 空白の時代 』 「日本書紀」を基に、神功皇后の足跡を辿った作品です。

歴史散策  空白の時代 ( 1 )

空白の時代 ( 1 ) 時の記録 歴史を時の流れと考えるならば、それは刻々と一瞬一瞬を刻みながら、途絶えることのないものと考えられる。 しかし、私たちがある時代の歴史を知ろうとした場合、それは記録されているものに限られてくる。記録には、文字や絵によ…

歴史散策  空白の時代 ( 2 )

空白の時代 ( 2 ) 仲哀天皇 仲哀天皇は神武天皇から数えて第十四代目の天皇である。第十三代は成務天皇、第十五代は応神天皇である。 足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)すなわち仲哀天皇(チュウアイテンノウ)は、日本武尊(ヤマトタケルノミコ…

歴史散策  空白の時代 ( 3 )

空白の時代 ( 3 ) 仲哀天皇の足跡 仲哀二年春正月、天皇は気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト・神功皇后)を立てて皇后とされた。 これより先に、叔父の彦人大兄(ヒコヒトノオオエ)の娘である大中姫を娶って妃(ミメ)とし、麛坂皇子(カゴサカノミコ…

歴史散策  空白の時代 ( 4 )

『 空白の時代 』 皇后の御船 天皇は、熊鰐(ワニ)に案内されて無事に岡浦に入ったが、皇后(神功皇后)は別の船に乗っていた。 御船は、洞海(クキノウミ・洞海湾)から入って行ったが、潮が引いていて進むことが出来なかった。その時、天皇を案内した熊鰐…

歴史散策  空白の時代 ( 5 )

『 空白の時代 (5) 』 空白の時代へ 仲哀九年の春二月、天皇は突然病をえて、翌日崩御された。 御年五十二歳であった。 この突然の崩御は、神の言葉を用いようとしなかったため、このように早い崩御になったのだと人々は知ったのである。ただ、一説には、天…

歴史散策  空白の時代 ( 6 )

『 空白の時代 ( 6 ) 』 神託を受ける 仲哀九年三月、この時より、神功皇后が実質的には天皇家の実権者となったといえよう。西暦でいえば、200年とされる。 神功皇后は、吉日(ヨキヒ)を選び、斎宮に入り自ら神主(カンヌシ・祭事の長)となられ、武内宿…

歴史散策  空白の時代 ( 7 )

『 空白の時代 ( 7 ) 』 出陣準備 神功皇后は、神の教えの験(シルシ)が有ることをお知りになり、さらに天神地祇をお祭りし、自ら西方(ニシノカタ・新羅国のある方向)を征討しようと望まれ、そこで神田(ミトシロ・神の御料の稲田)を定めて耕作された。 …

歴史散策  空白の時代 ( 8 )

『 空白の時代 ( 8 ) 』 新羅親征 仲哀九年冬十月の三日、神功皇后は和珥津(ワニツ・対馬の北端辺り)より出帆された。 その時、風の神は風を起こし、海の神は波を挙げ、海中の大魚はすべて浮き上がって船を助けた。そして、大風は順風となり、帆船は波の流…

歴史散策  空白の時代 ( 9 )

『 空白の時代 ( 9 ) 』 親王誕生 仲哀九年十二月十四日、新羅より帰還された神功皇后は、誉田天皇(ホムタノスメラミコト・応神天皇)を筑紫においてお生みになられた。 それゆえ、当時の人々は、その出産された地を名付けて于瀰(ウミ)と言った。 ( 「日…

歴史散策  空白の時代 ( 10 )

『 空白の時代 ( 10 ) 』 紀伊に上陸 神功皇后は、忍熊王が軍勢を集めて待ち受けていると聞くと、武内宿禰に命じて、皇子を懐いて、回り道をして南海に進み、紀伊水門(キノミナト・紀の川河口)に停泊された。そして、皇后の船は真直ぐに難波に向かった。 …

歴史散策  空白の時代 ( 11 )

『 空白の時代 ( 11 ) 』 忍熊王との戦い 神功摂政元年三月五日、神功皇后は、武内宿禰と和珥臣(ワニノオミ)の祖先である武振熊(タケフルクマ)とに命を下し、数万の兵を率いて忍熊王討伐の命令を下した。 武内宿禰らは、精兵を選んで、山背を通って菟道…

歴史散策  空白の時代 ( 12 )

『 空白の時代 ( 12 ) 』 誉田別皇子、皇太子に 神功摂政三年春正月の三日、誉田別皇子(ホムタワケノミコ・後の応神天皇)を皇太子(ヒツギノミコ)に立てた。 そして、磐余(イワレ・奈良県内)に都を造られた。若桜宮(ワカサクラノミヤ)である。 同五年…

歴史散策  空白の時代 ( 13 )

『 空白の時代 ( 13 ) 』 百済との親交の端緒 神功摂政四十六年の春三月の一日、斯摩宿禰(シマノスクネ)を卓淳国(トクジュノクニ・朝鮮半島の一部らしい)に派遣した。斯摩宿禰は、どういう出自の人か分からない。 この時、卓淳王マキムカンキは斯摩宿禰…

歴史散策  空白の時代 ( 14 )

『 空白の時代 ( 14 ) 』 新羅再征討 神功摂政四十九年の春三月、荒田別・鹿我別(カガワケ)を将軍に任命した。 そして、クテらと共に軍勢を整えて海を渡り、卓淳国(トクジュンノクニ・朝鮮半島にあった国)に至り、新羅を襲おうとした。 その時、ある人が…

歴史散策  空白の時代 ( 15 )

『 空白の時代 ( 15 ) 』 今一つの空白の時 日本書紀は、神功皇后について多くの記事を載せているが、神功摂政五十二年以降については、崩御までの十六年余りの間、百済の動向が中心で、その動静はほとんど記されていない。 神功皇后の摂政の期間は、天皇の…