2011-01-01から1年間の記事一覧
運命紀行 斎王の身を投げ捨てて 伊勢斎王大伯皇女(オオクノヒメミコ)が弟の刑死を知ったのは、686年の初頭の頃である。 弟大津皇子を飛鳥に帰すことに危険を感じていたし、悲劇が起こる予感がなかったわけではない。しかし、天武天皇の重臣たちの大津皇子…
運命紀行 二上山を仰ぐ 『二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ』 (万葉集・巻二 大伯皇女御作歌) 伊勢の国から飛鳥の地に入る時に越える山というのは、どの山のことを指しているのであろうか。 大津の皇子が僅かな下僕を従えて飛鳥の地…
運命紀行 血脈に翻弄されて 「私が政務一切の先頭に立とう」 亡き天武天皇の皇后、持統(鸕野讚良・ウノノササラ)は決意を固めた。 朱鳥元年(686)七月、重病の床にある天武天皇から重大な発表がなされた。政務の全権を持統とその子である草壁皇子に委ねた…
運命紀行 松が枝に託す命 『磐代の浜松が枝を引きむすび 真幸くあらばまた還り見む』 「松の枝を結んで願い事をすれば叶えられる」という古くからの言い伝えは聞いていたが、まさか自分自身がこの儚い願いに命を託すとは思いもよらなかった。 しかし、同時に…
運命紀行 心を一つにせよ 「みな心を一つにして聞くべし。これは最期の言葉なり。 故右大将軍、朝敵を征伐して、関東を早創してよりこの方、官位といい、俸禄といい、その恩は山岳より高く、大海より深く、報謝の志は浅いはずがあるまい。しかるに今、逆臣の…
運命紀行 大君の辺にこそ死なめ 『・・・ 大伴の 遠つ神祖(カンオヤ) その名をば 大来目主(オオクメヌシ)と 負ひ持ちて 仕へし官(ツカサ) 海行かば 水浸く屍(ミズクカバネ) 山行かば 草生(ム)す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みは せじと言(コト)立…
運命紀行 絶えなば絶えよ 『玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることのよわりもぞする』 神に仕える身となって、はや十年の年月が流れていた。 内親王宣下を受けるとともに、斎院となることを命じられたが、まだ少女である身にはその意味することは理解…
運命紀行 埋れ木の輝き 多勢に無勢、すでに勝敗の帰趨は明らかであった。 しかし、何とか一刻なりとも抵抗を続けなくてはならなかった。傷を得ている彼の王を落ち延びさせるためには短過ぎる時間だが、もう、その抵抗さえも難しくなっていた。 秘密裏に進め…
運命紀行 今日を限りの命であれ 登花殿において、中宮定子と春宮女御となられた淑景舎原子が初めて対面されたのは、長徳元年二月十八日のことであった。 同母のご姉妹のこととて、お手紙などのご連絡はしばしばなされていたが、輿入れからひと月ばかり経って…
運命紀行 倭しうるわし 尊の命は、その役割を終えようとしていた。 ようやく辿り着いた地は、「のぼの」だという。帰り着くべき地は、まだ遥かに遠い。 思えば、戦いに明け暮れた日々であった。 天皇の命令とはいえ、熊襲征討のため西に向かったのは、まだ十…
運命紀行 私を捨てよ 『侍は家を立てることが第一。私はもう年をとって老い先も短い。私の身を案ずるあまり、家を潰すようなことがあってはならぬ。万一の場合は、私を捨てよ。私のことなど少しも心に掛けることなく、ひたすら、家を立てることを心掛けよ』 …
運命紀行 今生の暇乞い 大坂の前田屋敷は、前日からの緊張が続いていた。 今やひとかどの武将に成長した利長を中心に、さらに強硬派の次男利政、重臣の村井長頼、奥村永福、片山伊賀らは断続的に軍議を重ねていた。 一時は、「討つべし」といった意見が圧倒…
運命紀行 わが恋まさる あれから五日も経ったのでしょうか。 まだ、身も心も納得できない状態なのに、内臣の殿が訪れるという前触れがありました。 私のさざ波のように揺れ動いている気持など誰も分かってくれないのか、新しく付けられた召使ならともかくも…
運命紀行 南海の彼方に 元暦元年三月。南海の海は穏やかに晴れわたっていた。 空の色も、日の出直後の朱の色は消えて、海の色より薄い水色に白い雲がここかしこにかかっている。 早起きの漁師たちの小舟はすでにそれぞれの漁場に向かった後らしく、幾つかの…
運命紀行 君が袖振る 宴席は最高潮に達していた。 即位したばかりの天智天皇が数多の群臣を率いて、ここ蒲生野の御料地で行われた遊猟は壮大なものであった。 新天皇を取り巻く人々は意気軒昂に語り、歌い、かつ酔い痴れていた。 やがて、指名されたのか立ち…
運命紀行 雪原の戦い 降り続いていた雪は止んでいた。 東の空が微かな朱の色を生みだしていた。やがて、その色は、次第に広がりを見せ、空を水色に変えていきつつあった。千切られたような雲が北から南へ流れていたが、雪の気配はなかった。 軍勢は、すでに…
運命紀行 花も花なれ人も人なれ 戦乱の気配は高まっていた。 それは、留守を預かる細川屋敷にも伝わってきていたが、ついに正室に大坂城に入る旨の要請があった。 申し出は拒絶したが、それで穏便に収まるはずもなかった。 すでに屋敷は石田勢に囲まれている…
運命紀行 われこそは新島守よ 隠岐は絶海の孤島である。 都を追われ、伯耆の国でさえ地の果てまで行くのかと思われたが、さらに海上を行くこと十余里だとか・・・。 七月の日本海は、嵐さえなければ最も穏やかな季節といえる。 しかし、都の、それも禁裏の奥…
運命紀行 しづやしづ 『吉野山峰のしら雪ふみわけて 入りにし人のあとぞ恋しき』 静は懸命に舞う。 豪奢な鶴岡八幡宮の舞台も、居並ぶ武者や女房たちの姿は全く見えていなかった。 静がかざす手の先にあるものは、降りしきる雪、雪、雪。 断ち切られるように…
運命紀行 クルスの旗の下に 天正十五年春三月。 明石海峡を望む船上城は、うららかな陽光に包まれている。 開け放たれた城門を出立した長い隊列は、林立する旗や幟を先頭にして西に向かう。 先頭を行く集団の掲げる旗や幟には、鮮やかな深紅のクルスが描かれ…
運 命 紀 行 時の旅びと わたしは旅びと わたしは時の旅びと ゆらゆらと 足もとさえ定まらぬ此方より とどまることなく広がりゆく果てしなき彼方に向かって進む道は 悠久の法則として定められし運命なのか 与えられし あるかなきかの力の限りを尽くした証な…
小さな小さな物語 第五部 No.241 から No.300 まで収めています
小さな小さな物語 ・ 目次 ( No.241~No.260 ) 241 認定トライ 242 忘れられないものと生きる 243 インフルエンザ・パンデミック 244 善意の形 245 額に汗する 246 鼎の軽重を問う 247 二月は面白い 248 百千鳥 24…
冬のスポーツ花盛りといった季節です。駅伝にマラソン、ラグビーにサッカーにアメフト、スキーにスケート、楽しみなスポーツが盛り沢山です。残念ながら、私はどれもテレビで観戦するだけのファンなのですが、いずれも迫力があるものばかりです。ところで、…
昨日、一月十七日は阪神淡路大地震から十六年目にあたり、被災地を中心に各地で追悼儀式が行われました。「光陰矢の如し」などと言う言葉は、本当にうまい表現だと感心するばかりですが、大きな被害を受けた方々にとっては、あの悲惨な思い出は、矢の如く遠…
二十世紀に、私たち人類はインフルエンザ・パンデミック(大流行)を三度経験したそうです。 一度目は1918年のスペイン風邪、二度目は1957年のアジア風邪、三度目が1968年の香港風邪だそうです。 そして、これらのパンデミック(大流行)が起きると、何故か…
群馬県のランドセルに始まったタイガーマスク現象が、大きな波紋を描いています。いやなニュースや腹立たしい事件が多い中で、何だか救われた気持ちにさせてくれました。最初にランドセルを贈った人は、まさかこれほどの反響を考えていたわけではないでしょ…
氷河期とも、超氷河期とも言われるそうです。働く者にとって厳しい時期が続いています。特に新卒者をはじめ若い人で職を得られない人が多いということが深刻な社会問題として浮かび上がってきています。かつて、働く人の姿を表現する代表的なものとして「額…
「鼎の軽重を問う」(かなえのけいちょうをとう)、この言葉は、日常の会話で使われることなど殆どありませんが、中国の故事からきた言葉の一つです。広辞苑などによりますと、「鼎」というのは、食物を煮るのに用いる金属製の容器で、普通は三本足です。(…
今日二月二日は、旧暦の十二月三十日、つまり大晦日にあたります。 今時、旧暦を持ち出して何になるのかと言われますと、まあ、その通りなんですが、私たちの生活、意外に旧暦の影響を受けていることもあるんですよ。 例えば、年賀状の冒頭に「初春のお祝い…