2012-01-01から1年間の記事一覧
運命紀行 この盃に付けて 『 ・・・御遊の次(ツイデ)に中将を召して、御酒玉(タマ)はせけるに、 「勾当内侍をば、この盃に付けて」 とぞ仰せ出だされける。 義貞限りなく忝(カタジケナ)しと思ひて、次の夜やがて(早速)牛車さはやかに仕立てて、かく…
運命紀行 足利二つ引の旗 『 さる程に、明くれば五月七日寅の剋に、足利治部大輔高氏、舎弟兵部大輔直義、篠村宿を打ち立ち給ひて、夜いまだ深ければ、馬を打ち居えて東西を見給ふに、篠村宿の南に当って、陰森たる古柳疎槐(コリュウソカイ)の下に枌楡叢祠…
運命紀行 ほんろうされながら 阿野廉子が中宮のもとに出仕したのは、十九歳の頃のことであった。 元応元年(1319)、西園寺禧子(キシ)が後醍醐天皇の中宮に冊立された折に、中宮付き上臈として宮中に入ったのである。 しかし、ほどなくして廉子は後醍醐の寵…
運命紀行 七度生まれ変わって 『 正季からからと打ち笑ひて、 「ただ七生までも同じ人間に生まれて、朝敵を亡ぼさばやとこそ存じ候へ」 と申しければ、正成よにも心よげなる気色にて、 「罪業深き悪念なれども、我も左様に思ふなり。いざさらば、同じく生を…
運命紀行 戦乱の陰で 慶長五年(1600)九月十五日、両軍合わせて十八万ともいわれる軍勢が美濃国関ヶ原において激突した戦いは、まさに天下分け目の戦いであった。 関ヶ原の戦いである。 御大将徳川家康率いる東軍は総勢十万余ともいわれ、その内訳をみると、…
運命紀行 二条城の会見 徳川家康と豊臣秀頼の二条城における会見が実現したのは、慶長十六年(1611)三月二十八日のことであった。 家康が駿府から上洛し二条城に入ったのは、三月十七日のことである。四年ぶりの上洛であった。 上洛の目的は、二十七日に行わ…
運命紀行 百万石を支える 千代保が九州に向かったのは、いつの頃であったのか。 長い戦乱の世を勝ち抜き天下統一を果たし豊臣秀吉が、大陸侵攻への野望を実現すべく各大名に軍令が下されたのは文禄元年(1592)三月十三日のことであった。文禄の役の始まりであ…
運命紀行 孤高の武将 世に名高い小山評定と呼ばれる軍議が開かれたのは、慶長五年(1600)七月二十四日のことであった。 大坂において石田三成挙兵との情報を得ていた徳川家康は、上杉景勝討伐に向かっていた大軍を止めて、軍議の開催を決めた。 家康は、自分…
運命紀行 美しきがゆえに 『 小野小町は、古の衣通姫の流なり。哀れなるようにて、強からず、言わば、良き女の悩める所あるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし。 』 これは、古今和歌集の紀貫之による仮名序のうちの小野小町について書かれている部…
運命紀行 平安の怪人 「小倉百人一首」の歌人の中には、謎の人物と表現したくなる人がいる。猿丸大夫や蝉丸がそうである。 ただ、彼らを謎の人物と評するのは、出所や来歴が謎めいているからである。 しかし、小野篁(オノノタカムラ)となれば、少しばかり…
運命紀行 平安女流文学の主役 一条天皇の御代、平安王朝文学はその絶頂期を迎えようとしていた。 一条天皇が即位したのは、寛和二年(986)のことで、数え年で七歳の時である。そして、寛弘八年(1011)に三十二歳で没するまでの二十五年間天皇の地位にあった。 …
運命紀行 謎の歌集 『 人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆへに物おもふ身は 』 『 ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり 』 この二つの和歌は、「小倉百人一首」のうちの九十九番歌後鳥羽院作と、百番歌順徳院作である。 撰者と…
運命紀行 天晴れ女武者 『 木曽殿は信濃より、巴、山吹とて、二人の便女(ビンジョ・身の回りの世話をする女性)をぐせられたり。山吹はいたはりあって(病のため)、都にとどまりぬ。 中にも巴は色白く髪長く、容顔まことにすぐれたり。ありがたき強弓精兵…
運命紀行 紫衣を羽織る 『 大灯の門弟 残灯を滅す 解け難き吟懐(ギンカイ) 一夜の氷 五十年来 簑笠の客 愧慚(キザン)す 紫衣(シエ)の僧 』 これは、文明六年(1474)、一休宗純が大徳寺住持に就いて間もない頃の作品である。 『 吾は僅かに残っていた大…
運命紀行 名家の誇り 突然の豪雨であったという。 永禄三年(1560)五月十九日、午後二時頃に歴史上名高い合戦の火蓋が切られた。 三河・尾張の国境あたりを制圧するために出陣した、今川義元を大将とする今川軍は総勢二万五千とも伝えられている。その辺りは…
運命紀行 清風は明月を払う 『 信長之時代、五年、三年は持たるべく候。明年あたりは公家などに成さるべく候かと見及び申し候。左候て後、高ころびにあおのけに転ばれ候ずると見え申し候。藤吉郎さりとてはの者にて候 』 これは、安国寺恵瓊(アンコクジエケ…
運命紀行 さすらう女房 『 岩橋の夜の契も絶えぬべし 明くるわびしき葛城の神 』 「拾遺集」に載せられている和歌である。 和歌の意味は私見であるが、「葛城の神の岩橋の工事が未完成であったように、私たちの夜の逢瀬も絶えてしまうのでしょうね。夜が明け…
運命紀行 お笑いなさるな 清原元輔が内蔵助に就いていた頃のことである。 その元輔が賀茂祭の奉幣使として颯爽たる姿で一条大路にさしかかった時、事件は起こった。 そのあたり一帯には、若い殿上人たちの牛車が数多く止められていて、行列の到来を待ち構え…
運命紀行 琴の音哀しく 天皇は、歩を止めて耳を澄ました。 微かに聞こえてくる琴の音は、嫋々として切なく、風に吹き消されるかに思われながらもなお続き、その琴の音よりもさらに弱々しげな声も加わった。 『 秋の日の あやしきほどの 夕暮れに 荻吹く風の …
運命紀行 人の心を種として 『やまと歌は 人の心を種(タネ)として よろづの言の葉とぞなれりける。 世の中にある人 こと わざ しげきものなれば 心に思ふことを 見るもの聞くものにつけて 言ひいだせるなり。 花に鳴く鶯 水に住む蛙(カハヅ)の声を聞けば…
小さな小さな物語 第七部 (No.361) から (No.420)まで収録しています。
小さな小さな物語 目次 ( NO.361 ~ 380 ) NO.361 富士山より高い山 362 雪に埋れて 363 新しい社会モデルを 364 コダック社に学ぶ 365 冬枯れの庭 366 プロの技 367 魚心あれば 368 デフレ克服 369 銀河の姿 37…
戦国時代もようやく終わりを告げようとしていた時代のことです。 天下を手中に収めた徳川幕府の命により、黒田藩も江戸城天守台の普請に携わったが、その工事を終え、国に戻る途中、霊峰富士が見事な姿を見せていました。馬上の勇者も、徒歩の侍も、荷駄を運…
旅人は大雪に見舞われ、西も東も分からなくなってしまいました。途方にくれているとすぐ前に一本の丸木のようなものが立っていました。旅人は、その木に馬を繋ぐと、あるったけの衣類などで身を守って寝てしまいました。そして、ぐっすりと眠った後目覚めま…
2060年には、わが国の人口は8,674万人になり、総人口に占める65歳以上の割合(高齢化率)が4割に達する・・・、という推計を国立社会保障・人口問題研究所が公表しました。 これを受けた新聞やテレビなどの報道や論評は、「ますます少子高齢化が進む」「何人…
先月、米イーストマン・コダック社が、米連邦破産法11条を申請したというニュースが伝えられました。 この法律は、日本でいえば民事再生法に相当するものですが、二年前、米ゼネラル・モーターズ(GM)が行ったのと同じ申請です。 一口に倒産といっても様…
わが家の小さな庭も、一人前に冬枯れの様相を呈しています。 この冬は、足の指先のしもやけがひどくて、その原因を考えてみますと、どうやら庭作業のような気がしたのです。私は、長靴を履いて作業するのですが、あまり動かない作業の時には足の冷たさを感じ…
テレビで料理の番組を見ることがあります。私個人は、料理に特別興味があるわけではないのですが、ニュースを中心とした番組やいわゆるワイドショウ的な番組の中でも料理のコーナーがよく加えられています。 私が時々見るものでは、プロの料理人が、家庭で出…
私はウォーキングが日課の一つになっているのですが、そのコースの一部は小中学生の通学路にあたっています。登下校の時間帯には、道路の角々に保護者の方などを中心に子供たちの安全のために誘導されています。 かつては、このような誘導者の目的の第一は、…
このほど日銀は、「当面、消費者物価指数で前年比1%上昇を目指す」という方針を決め、実質的にインフレ目標の設定を採用しました。 インフレ目標については、これまでも多くの学者や評論家が提唱したり、反対意見を述べたりしてきています。日本人に限らな…