2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧
二条の姫君 第五章 恩讐も煙となって 第五章 ( 一 ) 月日は流れ、正安四年(1302)の秋、二条の姫君は四十五歳でございます。 時代は、後二条天皇の御代となっておりました。 二条の姫君が、養育され、寵愛を受けることになった後深草院も、六十歳になっており…
第五章 ( 二 ) 船は、遠く近く浦々を眺めながら漕ぎ進み、備後国の鞆という所に至りました。 そこは、何となく賑やかな宿と思われましたが、たいか島という離れた小島がありました。その島は、隠遁した遊女が庵を並べて住んでいる所だったのです。 遊女とい…
第五章 ( 三 ) やがて船は、目指す厳島に着きました。 漫々たる波の上に、鳥居が遥か彼方にそびえ立っていて、百八十間の回廊は、そのまま海の上に建てられていますので、たくさんの数の船もこの回廊に横付けされておりました。 大法会が行われるらしくて、…
第五章 ( 四 ) 厳島には幾日も逗留することなく、上洛の途につきました。 その船の中に由緒ありげな女性か居りました。 「わたしは備後国和知という所の者でございます。宿願によってここへ参詣いたしました。どうぞ、わたしの住まいにもお立ち寄りください…
第五章 ( 五 ) 安芸国の佐東の御社は牛頭天王(ゴズテンノウ)と申しますので、祇園社(八坂神社)の御事も思い出されたご様子で、姫さまはたいそう懐かしく思われたのでしょうか一夜留まり、ゆったりと手向けをなさいました。 讃岐国の白峰、松山(共に現在…
第五章 ( 六 ) さて、姫さまがかねてからお勤めになられておられます、五部の大乗経の宿願は、まだまだ残りが多くございます。 この讃岐の国でまた少し書写申し上げたいと思い立たれました。そこで、あれこれと尋ね、松山(現在の坂出市)からさほど遠くない…
第五章 ( 七 ) あれこれとしておりますうちに、いつか十一月の末になってしまいました。 都へ行く船便があるというので、姫さまはようやくご帰京を決心なさいました。 いざ船に乗り込みますと、供の者どもばかりでなく、姫さまもさすがに心弾むご様子が見受…
第五章 ( 八 ) 広沢与三入道の接待のために、女房が二、三人ばかり来ておりました。 江田(広島県三次市内か)という所に、ここの主人の兄がいるが、娘の縁などがあるということで来ていたらしく、その女房が、 「あちらの方も、ぜひご覧ください。良い所で…
第五章 ( 九 ) 広沢の与三入道と申される者の江田の主人への命令は、大変ありがたい事でしたので、姫さまともどもお会いして事情を話しますと、 「才能は、その身のあだになることもあるのですねぇ。あなたのご才能ゆえに、和知の者は自分の所に欲しいと思っ…
第五章 ( 十 ) 思わぬ長居をしました江田を出立して、備中国の荏原(現岡山県井原市内か)という所に参りました。 そこには、満開と見える桜がありました。 姫さまは、そのひと枝を折って、見送りに同道してれた者に託して、広沢の入道殿に差し上げられまし…
第五章 ( 十一 ) 奈良に居を定められ、嘉元二年(1304)となり、姫さまは四十七歳となりました。 都の方から伝わって参ります噂によりますと、正月の始めの頃でございましたでしょうか、御所さま(後深草院)の妃・東二条院殿がご病気だというのです。 どの…
第五章 ( 十二 ) 東二条院殿の薨去は、七十三歳というご年齢からすれば世の常とも申せますが、姫さまはしばらく呆然とされておられました。 姫さまは、時々は都へもお出かけになり、そちらにも住居を用意されておりました。 やはり、東二条院殿が最期を迎え…
第五章 ( 十三 ) 御葬送は伏見殿の御所で行われるということで、法皇の御方(後深草院)も、遊義門院殿もいらっしゃるということでございました。 姫さまは、お二方のお嘆きもさぞかしとご推量されておられましたが、姫さまのご消息を取り次いでくださるつて…
第五章 ( 十四 ) 姫さまは、何とか御所さま(後深草院)の御病状の様子を知りたくて、北山の西園寺邸をお訪ねになられました。 かつての想い人、西園寺実兼殿の御邸であります。 「昔、御所にお仕えした者でございます。入道殿(西園寺実兼)にほんの少々…
第五章 ( 十五 ) 昼は日暮し思い暮らし、夜は夜もすがら嘆き明かして過ごされる姫さまのご様子は、側に仕える者さえも身が細るほどでございました。 七月十四日の夜、再び北山の西園寺邸を訪れました。 そうしますと、幸い入道殿(西園寺実兼)が在宅して…
第五章 ( 十六 ) 十六日の昼ごろのことでございました。 「もはや御隠れになられた」という噂が伝わって参りました。 お覚悟されていたことではありますが、崩御が事実だということがはっきりしますと、やはり姫さまの落胆は大きく、泣き言を申される力さ…
第五章 ( 十七 ) 夜が明けた頃、姫さまはようやくお帰りになられました。しかし、なお平静な御気持ちを取り戻せないご様子でございました。 御葬送奉行には平中納言仲兼殿にゆかりのある人がお就きだとお聞きになられますと、仲兼殿にゆかりのある女房を知…
第五章 ( 十八 ) 伏見殿の御所のご様子を気になされ、姫さまはお尋ねになられました。 この春、女院であられる東二条院様がお亡くなりになった時には、後深草院様と遊義門院(後深草院皇女、母は東二条院)様の御二人がお渡りになっていましたが、この度は…
第五章 ( 十九 ) 姫さまは、鬱々としたお気持ちで日を過ごされておりましたが、そのお気持ちを打ち払うためと思われたのでしょうか、天王寺への参詣を思い立たれました。 摂津国の天王寺(四天王寺)は、聖徳太子の創建になる寺院ですが、釈迦如来が説法な…
第五章 ( 二十 ) しばらくは天王寺で参籠を続けられるご予定でしたが、御所さま(後深草院)の御四十九日が近くなったので、姫さまは都に戻られることになりました。 その日は、伏見の御所に参られましたが、すでに御仏事が始まっていて、大勢の人々が聴聞…
第五章 ( 二十一 ) その夜は、亡き御所さまの御四十九日のことに加えて、御父上の大納言様のことが思いだされたご様子で、姫さまは、側に仕える者にまでいつにない悲しみをお見せになられました。 思えば、御父上の大納言様もご逝去なさいましたのは八月の…
第五章 ( 二十二 ) かねがね姫さまは、たとえ一期は尽きるとも、御両親の形見であるこの二品だけは失わないように努めて来られておりました。 この世に別れを告げて荼毘に付される時にもあの世までもともなおうと考えておられました。 度々の修行の旅に立…
第五章 ( 二十三 ) 九月十五日より、姫さまは東山双林寺というあたりにて懺法(センポウ・罪を懺悔する法)というお勤めに入られました。かねてより宿願の内の前の二十巻である大集経までの書写を続けられました。 姫さまは、御所さまと過ごされました昔を…
第五章 ( 二十四 ) さて、早いものでございまして、今年は姫さまの御父上であります故大納言殿の三十三年にあたります。 姫さまは、定められた通りの仏事を執り行われ、大事の時にお願いする聖のもとに諷誦文(フジュモン・追善のために、布施物を記し読経…
第五章 ( 二十五 ) 姫さまは、夢の中で亡き御父上の鮮明なお姿とお逢いになられました。 それも、とても夢の中とは思われないようなお話があり、久我家の誉れを様々に語られたそうでございます。 姫さまが和歌の道に秀でていることは、御所にある頃は広く…
第五章 ( 二十六 ) そうこうしているうちに五月の頃になりました。 亡き御所さま(後深草院)の御命日が近付いてきたこともあり、姫さまはかねてからの宿願のことをお気にされておりました。宿願である五部の大乗経書写供養は、すでに三部は終えられていて…
第五章 ( 二十七 ) 七月の始めに姫さまは、京にお戻りになりました。 御所さま(後深草院)の御命日を迎えましたからで、深草の御陵にお参りしてから伏見殿の御所へ参られますと、御仏事はすでに始まっておりました。 石泉院(シャクセンイン・比叡山の院…
第五章 ( 二十八 ) 御所さま(後深草院)の一周忌を迎える頃からだったのでしょうか、法皇様(亀山法皇。後深草院の弟で第九十代天皇)が御病気だという噂がございました。 皇室関係の御不幸がそうそう続くものでもない、と姫さまは申され、御病気というこ…
第五章 ( 二十九 ) 熊野での書経の日数も残り少なくなった頃のことでございます。 どちらの旅先でも感じることですが、この度は写経という宿願を抱えてのお籠りでしたので、御山を出る日が近付きますと、名残惜しい気持ちが積もってくるものです。 姫さま…
第五章 ( 三十 ) 夢の中でお逢いされた御所さまの御面影は、目覚められた後も強く姫さまのお心に刻まれたご様子でございました。 書経も終わりましたことから、かつて御所さまから賜った三枚の小袖のうちの特に残されていた最後の一枚を、「いつまでもち続…