雅工房 『 日々これ好日 』

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2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧

お天気が崩れてきた

『 お天気が崩れてきた 』 当地の天候は 午後から曇ってきたが 明日は朝から曇天 夕方から雨になるとの予報 全国的にも 立春寒波となるようで 厳しい寒さと 地域によっては 大雪が心配されている 2月前半は 全国的に 平年に比べ寒いようだ 立春を迎えても …

人工物災害も深刻

『 人工物災害も深刻 』 埼玉県八潮市の 道路陥没事故 トラック運転手の 救助活動は大難航 それにしても 上下水道やガス管 あるいは橋梁など 老朽化が進んでいる物件が 増え続けていることが 指摘されるようになってから すでに久しい ピークはまだ先のはず…

寒波到来

『 寒波到来 』 寒波が到来すると 呼びかけられている 当地も 昨日あたりから 寒さに加え 風が強い インフルエンザが流行しているところに ポカポカ陽気で 花粉症の注意報も そして一転 寒波到来とか くれぐれも 体調にご注意を それと 火事のニュースが多い…

武勇の人橘則光 ・ 今昔の人々

『 武勇の人橘則光 ・ 今昔の人々 』陸奧の前司橘則光という人がいた。武人の家柄ではないが、極めて豪胆なうえに思慮深く、腕力もとても強かった。容姿も優れていて、世間の評判も良く、人々から一目置かれていた。さて、その人がまだ若い頃の事であるが、…

まるでテレビジャック状態

『 まるでテレビジャック状態 』 フジテレビが 二度目の記者会見 その時間 何と10時間23分だとか 出席メンバーや 進行方法の拙さもあるが 質問する側の記者たちにも かなり問題があったようだ 結局 どれほどの解明なり釈明なりが 出来たのだろう どうや…

企業風土という厄介な存在

『 企業風土という厄介な存在 』 フジテレビの記者会見は 今も続いている 一部を見ただけだが 真相とか根本解決などには とても 辿り着くようなものではないようだ 第三者委員会との絡みもあり 仕方ないのだろう これだけの会社なので 様々な制度や規範など…

ニューヒロイン誕生

『 ニューヒロイン誕生 』 大阪国際女子マラソンで ニューヒロインが誕生した 小林香菜選手が その人で 24kmあたりで 先頭集団から落されたが じりじりと追い上げ 残り800mあたりで 本命の鈴木優花選手を抜いて 2位でフィニッシュした 2時間21分…

今は漕ぎ出でな ・ 万葉集の風景

『 今は漕ぎ出でな ・ 万葉集の風景 』熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 作者 斉明天皇 ( 万葉集は「額田王」)( 巻1-8 ) にきたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな意訳 「 熟田津(現在の松…

国会始まっていますよ

『 国会始まっていますよ 』 昨日 通常国会が 招集され 石破首相が 施政方針演説を行った それにしても テレビの報道量は 余りに少ない フジテレビがらみ トランプがらみに 下回り 今朝の 私が見ている朝刊は トップは「日銀金利引き上げ」で その横下に 一…

政策金利引き上げ

『 政策金利引き上げ 』 日本銀行は 政策金利を0.25%引き上げて 0.50%にすると 発表 大手銀行は 預金金利の引き上げを表明し まだ眼鏡を必要とする程度の 数字だが 金利のある時代への 第二歩目となった ただ 貸出金利も 引き上げられることになる …

去る皇后と日の出の新中宮 ・ 望月の宴 ( 81 )

『 去る皇后と日の出の新中宮 ・ 望月の宴 ( 81 ) 』定子皇后は、三月三十日に宮中を退出なさるにつけても、しみじみと悲しいことなどをたくさん天皇に申し上げられて、御袖を幾重にもお濡らしになる。そして、心底から、月の障りがふつうでなくなったことを…

長保二年という年 ・ 望月の宴 ( 82 )

『 長保二年という年 ・ 望月の宴 ( 82 ) 』いつしか五月五日(長保二年・1000 年)になったので、人々は菖蒲や楝(ショウブやオウチ・どちらも襲(カサネ)の夏の色目。表青・裏濃紅梅と表薄紫・裏青。)などの唐衣、表着なども、風情があり時節に合っているように見え…

定子皇后の悲劇への道 ・ 望月の宴 ( 83 )

『 定子皇后の悲劇への道 ・ 望月の宴 ( 83 ) 』物語は、かの清少納言が敬愛してやまない定子皇后の悲劇へと展開して参ります。平安王朝文化の絶頂期は、激しい権力闘争の時代でもあったのでございます。やがて八月(旧暦では秋)となり、皇后宮(定子)は何…

定子皇后 崩御 ・ 望月の宴 ( 84 )

『 定子皇后 崩御 ・ 望月の宴 ( 84 ) 』皇后宮(定子)は、この月が産み月に当たらせられる。御気分も勝れなくいらっしゃるので、清照法橋(セイショウホッキョウ・定子の母方の叔父らしい。)が常に参上して、御願立て(ゴガンタテ・安産の願掛け)をなさり、戒(戒律に…

皇后宮定子の遺詠 ・ 望月の宴 ( 85 )

『 皇后宮定子の遺詠 ・ 望月の宴 ( 85 ) 』帝(一条天皇)におかれても、皇后宮(定子)のご他界をお聞きになって、ああ哀れなことよ、宮はどれほど切ないお気持ちであったことか、確かにもう生きておいででないかのように沈んでおいでだった様子が、しみじ…

雪の中の御葬送 ・ 望月の宴 ( 86 )

『 雪の中の御葬送 ・ 望月の宴 ( 86 ) 』鳥辺野(トリベノ)の南方、二町ほど離れて、霊屋(タマヤ・正式に埋葬する前に亡骸を納めておく所。)というものを造って、築地(ツイジ・土塀)などを築いて、ここに御亡骸をお納めなさろうと進められる。万事、重々しくご…

定子の幼い御子たち ・ 望月の宴 ( 87 )

『 定子の幼い御子たち ・ 望月の宴 ( 87 ) 』やがて年が改まり、長保三年( 1001 )の春を迎えました。中関白家(定子、伊周らの一族)の方々にとりましては、定子皇后の御逝去という悲しみから抜け出すことなど出来ず、春が訪れたことさえご存じないのでは…

助かる命と逝く命 ・ 望月の宴 ( 88 )

『 助かる命と逝く命 ・ 望月の宴 ( 88 ) 』さて、大殿(道長)は相方の君(スケカタのキミ・源相方。宇多天皇の孫に当たる源重信の息子。道長の正室倫子のいとこにあたる。)の邸にいらっしゃる時に、たいそう重い病にかかられた。当面の一大事と世間では思われて…

女院の石山詣で ・ 望月の宴 ( 89 )

『 女院の石山詣で ・ 望月の宴 ( 89 ) 』ところで、今年(長保三年(1001)。但し史実としては長保二年が正しい。)は、女院(一条天皇の生母詮子)の御四十の賀を、公事(オオヤケゴト)として行われる予定なので、春からその為の御調度などの用意をなさっていて…

法華八講と四十の賀 ・ 望月の宴 ( 90 )

『 法華八講と四十の賀 ・ 望月の宴 ( 90 ) 』 女院(一条天皇の生母詮子)は、石山詣でから帰京なさると、間もなく、法華八講をお始めになられた。すべてにおいて、これまでの御八講に勝る盛大さは推察していただきたい。講師(コウジ・法会において高座に登…

女院最後の参内 ・ 望月の宴 ( 91 )

『 女院最後の参内 ・ 望月の宴 ( 91 ) 』霜月(11月)には、五節はもとよりのこと、神事が数多く行われるはずなので、女院(東三条院詮子)は、この十月の内に宮中に参られた。帝(一条天皇)はたいそうお喜びになられ、お待ちかねであったので、早速に女院…

女院の病状悪化 ・ 望月の宴 ( 92 )

『 女院の病状悪化 ・ 望月の宴 ( 92 ) 』こうしているうちに、女院(詮子。一条天皇生母。)は腫(ハ)れ物のため熱をお出しになり、お苦しみになる。殿(道長)は大変ご心配なさって、途方に暮れていらっしゃる。病状は、女院ご自身それほどでもないとお思…

一条天皇 女院を見舞う ・ 望月の宴 ( 93 )

『 一条天皇 女院を見舞う ・ 望月の宴 ( 93 ) 』やがて、月末となった。( 史実としては閏十二月の十六日のこと。)世の中は何かと騒がしく新年の準備に励む頃であるが、女院(東三条院詮子。一条天皇生母。)のご病状が回復なさらないので、気分は落ち着か…

女院御逝去 ・ 望月の宴 ( 94 )

『 女院御逝去 ・ 望月の宴 ( 94 ) 』さて、殿(道長)がお戻りになってから、若宮(媄子内親王。生母は定子。)の御乳母や然るべき女房たちに命じて、姫宮(媄子の姉姫の脩子内親王。)のお住まいの所にお送り申し上げる。女院(東三条院詮子。一条天皇の生…

淑景舎女御の急死 ・ 望月の宴 ( 95 )

『 淑景舎女御の急死 ・ 望月の宴 ( 95 ) 』むなしくその年(長保三年、1101 )も暮れていった。正月一日に涙を流すことは不吉だというのも、平安な時のことであって、いずこも女院(東三条院詮子)のご恩顧を蒙っていた人々は皆途方に暮れている。念仏はも…

頼通 右近衛少将に ・ 望月の宴 ( 96 )

『 頼通 右近衛少将に ・ 望月の宴 ( 96 ) 』殿(藤原道長)の若君田鶴君(タヅギミ・頼通)は十二歳ばかりにおなりである。今年( 1003 年)の冬、枇杷殿(ビワドノ・道長の邸の一つ。)において元服式を挙げられた。引入れ(ヒキイレ・冠をかぶせる役。)には閑院…

中関白家の人々 ・ 望月の宴 ( 97 )

『 中関白家の人々 ・ 望月の宴 ( 97 ) 』道長の御殿の御嫡男、頼通殿は、十二歳で元服なさると正五位に叙され、ほどなく右近衛少将に任じられました。その後も、まっしぐらに昇進なさり、十五歳の時には、従三位に昇叙、公卿の地位に達するのでございます。…

哀れなり御匣殿 ・ 望月の宴 ( 98 )

『 哀れなり御匣殿 ・ 望月の宴 ( 98 ) 』ところで、宣耀殿女御(センヨウデンノニョウゴ・藤原娍子。のちの三条天皇皇后。)は、たくさんの宮たちをお連れして東宮(居貞親王。のちの三条天皇。)のおそば近くにお仕えしていらっしゃいますが、それも、並大抵ではな…

賀茂祭の有様 ・ 望月の宴 ( 99 )

『 賀茂祭の有様 ・ 望月の宴 ( 99 ) 』こうしているうちに、寛弘二年( 1005 )になった。司召(ツカサメシ・春の除目)などあって、殿(道長)の君達(公達)は、鷹司殿(倫子)御腹の弟君(教通。頼通の弟。)、高松殿(明子)御腹の巌君(イワキミ・頼宗)などが…

道長と花山院 ・ 望月の宴 ( 100 )

『 道長と花山院 ・ 望月の宴 ( 100 ) 』さて、こうしているうちに、帥殿(伊周)が全く官位もない状態でいらっしゃるのを、「たいそうお気の毒なことである」などと、殿(道長)は気の毒に思われて、准大臣の御位にして御封(ミブ・大臣の半分くらいの封戸ら…