雅工房 『 日々これ好日 』

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2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

思いやりこそが一番

麗しの枕草子物語 思いやりこそが一番 何と申しましても、男性はもちろんのこと、女性であっても思いやりのあることが一番すばらしいものですねえ。 何でもない言葉であっても、それも心から思っているわけでなくても、気の毒なことに対して「お気の毒だ」と…

噂話はお好きですか

麗しの枕草子物語 噂話はお好きですか 人の噂をするのに腹を立てる方がいますが、全くやりきれませんわね。 ねぇ、そうでしょう、どうして、人の噂を言わずにいられましょうか。自分のことは別にして、他人の噂ほど無性にしゃべりたくなるものが他にあります…

歴史散策  平安の都へ

歴史散策 『 平安の都へ 』 神武東征以来、天皇家の本拠地であった大和の地を棄てたのは何ゆえか。 天智天皇などごく限られた期間、逃げ出すように大和を離れた王朝もあるにはあったが、 桓武天皇の遷都は少し違うように見える。 平安の都を求めての遷都は、…

歴史散策  平安の都へ ( 1 )

歴史散策 平安の都へ ( 1 ) 手白香皇女 我が国の天皇家は、神武天皇以来男系男子により相伝されているとされる。 その信憑性云々はともかく、また、神話の時代を素直に受け取っての話であるが、多くの記録が伝えられている。それらの記録や伝承は、近代にい…

歴史散策  平安の都へ ( 2 )

歴史散策 平安の都へ ( 2 ) 継体天皇 神武天皇を初代とした皇統は、二千六百数十年に渡って脈々と伝えられてきた。諸々の伝承や神話の世界も受容してのことであるが。 しかし、歴代天皇の継承の状況などを考えた場合、私などでも簡単に入手できる資料からだ…

歴史散策  平安の都へ ( 3 )

歴史散策 平安の都へ ( 3 ) 称徳天皇 第二十五代武烈天皇が崩御し継体天皇が即位したことにより王家の系譜の変動があったと考えるならば、その新王朝は第四十八代称徳天皇の崩御により終焉を迎えたと考えられる。 この間、およそ二百六十年という長い期間は…

歴史散策  平安の都へ ( 4 )

歴史散策 平安の都へ ( 4 ) 弓削道鏡 764年9月、孝謙天皇(上皇)は、淳仁天皇を支援する時の権力者藤原仲麻呂(恵美押勝)を討伐することを決意した。 その動きを察知した藤原仲麻呂も軍備の準備を進めていたが、孝謙上皇は山村王(用明天皇の子孫)ら…

歴史散策  平安の都へ ( 5 )

歴史散策 平安の都へ ( 5 ) 光仁天皇 770年8月4日、第四十八代称徳天皇は崩御した。 生涯独身であった称徳天皇には実子はなく、皇太子も定めらておらず、後継指名は明瞭ではなかったらしい。 幾つかの文献によれば、称徳天皇が崩御した直後に、次の天皇…

歴史散策  平安の都へ ( 6 )

歴史散策 平安の都へ ( 6 ) 不改常典 称徳天皇の崩御直後に開かれたとされる後継者を選ぶ会議において、藤原宿奈麻呂(良継)、百川らの画策によって、おそらくあっけないほどすんなりと天智天皇の孫にあたる白壁王(光仁天皇)が後継者に選ばれた。 前回と…

歴史散策  平安の都へ ( 7 )

歴史散策 平安の都へ ( 7 ) 桓武天皇 称徳天皇が後継者をを定めることなく崩御して、いわゆる天武王朝(筆者個人は持統王朝と考えている)が終焉の危機を迎えた時、後継者の選択は大変な難事と思われたが、意外なほどにすっきりと白壁王(光仁天皇)に決まっ…

歴史散策  平安の都へ ( 8 )

歴史散策 平安の都へ ( 8 ) 平安の都を求めて 桓武天皇は、なぜ長年の王城の地である大和を棄てて新しい都を求めたのであろうか。 これについては、古くから色々な理由が述べられてきている。その理由の多くは納得性があり、桓武天皇に少なからず影響を与え…

嬉しいことが沢山

麗しの枕草子物語 嬉しいことが沢山 嬉しいことって、意外に沢山あるものですね。 はじめて見る物語を、一の巻を読んで、続きをぜひ読みたいと思っていたところ、うまく見つけることが出来た時。これはとても嬉しいものです。 「どうなることか」と心配にな…