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「事故を起こしたのですから、省一が悪いのは当然です。
今こうして、自分の子供を抱く立場になってみると、遺族の方々の悲しみやわたしたちへの怒りや憎しみは当然だと思います・・・。
でも、省一は、あのお子さんを殺したのではありません。死なせてしまったことは事実ですし、言い訳もできないと思います。申し訳ないとも思います。でも、殺そうと思ってしたことではありません・・・」
敦子は、涙を流してはいたが、しっかりとした口調で石川に語った。
それは、語るというより、血の出るような叫びであった。
「省一はわたしの主人です。そして、省一があのお子さんを死なせてしまったことも事実です。省一やわたしがいくら責められても仕方がありません。わたしたちがいくら詫びても、詫びたりないと思います。でも・・・、そうだからといって、この子が誰かに殺されてもいいということではないでしょう?
わたしはこの子を守っていきます。あの事故がこの子の罪になるなんて、誰にも言わせません・・・」
日本の社会は今も連座制なのだ、と石川は思った。
家族が単位となって生活している以上、一人の失敗や犯罪がその家族全体を不幸の巻き添えにしてしまうことは避けられないが、生まれてくる子供まで罪が問われなければならないのか・・・、と石川は憂鬱な気持ちになっていた。
省一の大型トラックに巻き込まれて亡くなった男の子は、石川の子供とほぼ同年齢だった。
当時石川は、自分のこととして考えれば、子供を殺された両親の怒りの激しさは十分理解できる、と思っていた。それでもなお、敦子の境遇に同情する気持ちの方が遥かに強く、何とか力になれないかとの思いが強まっていた。
年を経て、当時のことを思い起こす時、四歳の子を交通事故で亡くした親の気持ちを当時の自分が理解することなどできるものではないと、つくづく思う。
無残な形で子供を失った親の気持ちを理解することなど誰にもできない。たとえ同じような経験をした人であっても、怒りと悲しみの最中にある人の気持ちを推し量ることなどできるものではあるまい。
しかし、それでもなお、敦子の子供のような立場の幼い子を、不幸の渦に巻き込んではならないと思う。敦子の子供の正夫くんを不幸にすることが、四歳の男の子を亡くした両親の悲しみを癒すことに役立つことは絶対にない・・・。
石川はこの考え方に年を経ても揺るぎはないが、現実は、そうもいかないようである。
「哀しい方の人生」などという考え方が、特別な意味をもって存在しているのかどうか知らないが、少なくとも石川にとっては、敦子から聞いたのが最初だった。
子供の親とはいえまだ若い女性が、安易に「人生」などという言葉を使うことでさえ違和感があった。幼い子供を抱えた若い母親が、人生を達観したような、それも投げ遣りのように聞こえる「哀しい方の人生を歩く運命にある」などと口にするのには、どう対応すればよいのかさえ分からなかった。
このことについて石川は、敦子と何度か話をした。
これまでのあまり恵まれなかった生い立ちから、自分には幸せな人生などなく、哀しい人生を送らねばならない宿命なのだと思い込んでいる・・・。それが敦子に「哀しい方の人生」などと言わせているのだと最初は推定していた。
その後、それが幼い日に祖母から植えつけられたものらしいことを想像できるようになったが、敦子にはそのような意識は全く持っておらず、それが自分の当然の運命だと思い込んでいるようだった。
石川は、敦子の考え方が間違っているということを分からせようと何度も試みたが、強く反論もしなかったが、彼の意見を受け入れる気配もなかった。それが自分の運命だと思い込んでいる気持ちは少しも揺るがなかった。
それでも石川は顔を合わせるたびに、人生は努力によって変えることができるものだと繰り返した。
敦子は、石川の熱弁のあと一呼吸置くと、
「努力なんかで、どうすることも出来ないことだわ・・・。石川さんには分かりませんわ。だって、石川さんは、わたしとは違いますもの」
と、静かに首を横に振りながら言った。
「違うって? どこが違うんですか?」
「石川さんは、哀しい方の人生じゃないから」
「私は悲しい方の人生ではない? 私は楽しい方の人生だというんですか?」
「楽しい方の人生などというものがあるのかどうかは知りません。でも、石川さんは悲しい方の人生を歩く人ではありませんわ。そのことだけは、わたしには分かるのです」
このことは、何度繰り返しても敦子は淋しく笑うだけで、石川の意見を全く受けつけようとしなかった。彼を非難するわけでも強い口調で反論することもなかったが、彼の考えを受け入れることはなかった。
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