突然の出来事に、敦子は大きくなったお腹をかばいながら走り回ったが、会社の人に頼る以外に方法もなく右往左往するばかりだった。
もともと無口な省一だが、二人で暮らすようになってからは敦子と明るく話すようになっていたのに、事故以後は殆ど口を利かなくなってしまった。
警察の取り調べでも何の言い訳もせず、敦子に対しても、あれほど楽しみにしていた生まれてくる子供のことさえも話さなくなっていた。
事故で亡くなったのは四歳の男の子だった。
父親と並んで自転車に乗っていたのだが、先に行っていた子供だけが省一のトラックに巻き込まれたのである。
省一が裁判で有罪になるのは決定的で、何とか執行猶予が付くように努力することが大切だというのが、相談に乗ってくれている弁護士の意見だった。
努力する方法は、被害者の両親に赦しを乞い、省一の罪を軽くしてくれるよう裁判官に陳述してもらうことだと教えてくれた。そして、そのためには、誠心誠意詫びることと、出来る限りの保証をして先方との示談を早く済ませることだ、とも教えてくれた。
事故補償については、勤めていた会社が加入している保険で対応してくれることになっていたが、被害者の代理人だという人は、敦子に慰謝料を厳しく請求してきた。
保険会社から支払われるものなど当然のものに過ぎず、それ以外にどうしてくれるのかということが誠意だと敦子に迫った。
敦子は、お嫁に行く時まで使わないように言われていた、叔父から貰った貯金を使うことにした。
結婚する時にも手を付けなかった貯金だが、この苦境に使うのは、叔父も、祖父も許してくれると思ったからである。
二百万円と、その後に僅かばかり加えたものと、加えられている利息も含めた全額を被害者宅に持参したが、
「こんな端金、子供の命の代わりになるとでも思っているのか」
「馬鹿にするにも程がある」
と、居合わせた数人から厳しく責められた。
敦子は、全てのものを投げ出したのに、こんな端金と罵られるのが悔しかったが、ただ頭を下げて、涙をこらえていた。
遺族とその関係者たちは、端金、端金と繰り返したが、そのお金を返してくれるわけでもなかった。
そして、集まっていた人の中から、さらに責められた言葉は敦子が一生忘れることができないものだった。
「あんたも、生まれてきた子を誰かに殺されればいい。そしたら、わしたちの悲しみが分かるんだから」
敦子は、身を伏せ、全身を震わせながら、今の言葉がお腹の子供に聞こえないようにと、ひたすら祈った。
敦子の努力は、先方から見れば、何もしてくれないということのようだった。省一は有罪となり、執行猶予は付かず収監された。
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最後の拠りどころとしていた貯金を支払ってしまった敦子は、出産の費用にも事欠く状態になった。
省一と生活を始めた時に借りた文化住宅から現在のアパートに移ったのも、家賃を減らす必要もあったが、一番の理由は、戻ってくる敷金を出産費用に充てるためだった。入居の時支払った額より減らされたが、敦子が縋ることができる唯一の資金だった。
省一は敦子に対しても極端に口数が少なくなっていた。
最初の面会の後、省一の弁護を担当してくれた弁護士から、省一の署名がされた離婚届の用紙が敦子に渡された。弁護士は、それが省一の贖罪の気持なのだと語った。
敦子はその場でその用紙を破り捨てた。
そして、敦子は、一人の肉親にさえ助けられることなく、小さな病院で出産した。