桜前線が停滞しています。
この数日、かなり寒くなり雨も多く、所によっては風雪に襲われたようで、桜前線は半歩踏み出したところで停滞を余儀なくされています。
「女心と秋の空」という言葉があります。移り気なものの象徴として使われますが、江戸時代には、「男心と秋の空」と使われることの方が多かったようで、女も男もいい勝負のようです。同様に、秋の空が移り変わりが激しいように、春のお天気もなかなか荒々しいものです。
毎年のように、気象予報士の方が桜の開花日予想をされていますが、今年は、二度三度と変更なさっているようで、僅か半月ばかりのお天気でさえ、プロの方でさえ予想は難しいようです。
いわんや、三年とか五年、さらにもっと長期の事柄を予測することは、至難の業というもののようです。「30年以内に発生する可能性は60%」などといった、まことにお見事と言いたいような予測の立て方も堂々と行われているようですが、先行きを予測することは簡単なことではないようです。
「少年は大志を抱きなさい」「老後に備えなさい」「八十代をどう生きるか」などと、私たちは折々に将来の計画を立てることを求められます。また、自ら積極的に立案し、果敢に挑戦する人もいらっしゃるようです。
「そうは問屋が卸さない」という言葉があります。
「世間で100円で売られている商品を、60円で仕入れて80円で売っていけば大儲けは出来ないが、着実な利益を積み重ねることができる」という名案を見つけ出したのですが、さて実行しようとすると、「そうは問屋が卸さない」という現実が立ちはだかります。
「当て事と越中褌は向こうから外れる」という言葉もあります。少々下品な言葉ですが、そうそう簡単には消え去らないところをみると、この言葉も真実の一端を捉えているのでしょう。私たちが立てる計画は、ややもすると、家族も含めた第三者の善意や時には犠牲さえも加味されていることがあり、やがては「向こうから外れる」ということになりかねません。
「好事魔多し」という言葉は、中国の元末期頃の「琵琶記」という劇中で使われた台詞から誕生したもののようですが、延々700年に渡って現代に伝えられていることになります。しかし、考えてみますと、「好事魔多し」という状況は、この時に誕生したものであるわけはなく、おそらく、ヒトが地球上に姿を現わしたその時から体験し続けてきたことではないのでしょうか。
いくら才能に恵まれていても、いくら努力を重ねた結果であっても、永遠に続く「好事」などあるものではなく、必ずといってよいほど「魔」が姿を見せるものなのでしょう。
そして、本当に大切なことは、そうした状況になったときに、どう対処し、どこに自分の価値を見つけ出すかということではないでしょうか。
私たちが歩き続けている道端には、きれいな花がたくさん咲いていますが、雨も降れば強い風も吹いてきます。そして、その雨も風も含めたものが私たちが歩くべき道なのでしょう。
この数日、つくづくと教えられました。
( 2024 - 03 - 25 )