雅工房 『 日々これ好日 』

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悠々たる時の流れ ・ 小さな小さな物語 ( 1880 )

「五十年ほど先に、わしは無理だが、弟子に来させますよ」と、その棟梁は出来上がった大屋根を見上げながら笑いました。何だかすごく淋しそうな笑い顔でした・・・。
まだ、昭和の年号の頃でしたが、仕事の関係で親しくさせていただいていたお家が大改修をしました。その家屋は、阪神間屈指の住宅地の一角にある物ですが、その辺りには農地も残っていて、そこだけは周囲の開発を押し止めているような雰囲気です。
その家の主人は、六代だか七代だか、同じ名前を引き継いでいるという旧家です。当代の主人も、その名前を引き継ぐべく、戸籍の変更を進めていたようですが、かなり難しいようでした。
その家屋は、築後百何十年位の茅葺きの広大な物ですが、屋根の傷みが激しくなり、葺き替える事になったのですが、引き受ける業者がなく、琵琶湖畔にある町から棟梁と職人五人ばかりを招き、資材もそちらで一年以上前から集めていたという工事で、おそらく、立派な家が一軒建つほどの費用が掛ったはずです。

棟梁と呼ばれていた人は、もともと大工として修行した人のようでしたが、工務店を始めたあと、たまたま茅葺きの旧家を修理する機会があり、その仕事がたいそう評価された事から、そうした仕事に注力するようになり、今ではその方面の仕事が過半を占めているそうでした。
私は、建築とはまったく関係なく、その家の当主とは仕事でのつながりだけでしたが、修繕の様子に非常に惹かれて、再三訪れて、棟梁とも話す機会が何度かありました。
その時の話では、しっかりと施工された茅葺きの屋根は、その頃建てられていた日本家屋の屋根より遙かに強く長持ちすると言っていました。ただ、何年間に一度のメンテナンスが必要で、その職人も材料も年々減少しているようでした。
長い時間をかけた葺き替え工事が完成したとき、棟梁は、「次のメンテナンスの時に、自分はおそらく来ることは出来まいが、後を引き継いでくれる職人を何としても育てていきたいと思っている」と言っていたのが印象的でした。

あれから、すでに長い年月が過ぎています。 
あの広大な茅葺き屋敷の当主も、あの棟梁も、あの当時ですでに古希に近かったと思いますので、もう、お二人とも鬼籍に入っているものと思われます。
当主とは、サラリーマン時代の顧客として短い期間お世話になっただけで、年齢も相当離れていて、親しいと言っても仕事を通じての事でした。棟梁とは、ほんの数回お会いしただけの人です。
ところが、時々、関西屈指の住宅地の一角に、広い土地を所有されていたから許可されたのでしょうが、瀟洒な住宅群から切り離されたような茅葺きの家の姿を思い出すことがあるのです。
当主の話によれば、茅葺き屋根を葺き替える事には、家族のみんなが反対したようです。市当局なども同様だったそうです。当主は広い土地を所有しており、資金的な不安など全くないので出来たのでしょうが、当主が茅葺き屋根に拘ったのは、「わしの時代で無くすわけにはいかない」という一念だったそうです。

そのお方は、その地区の有力者として様々な仕事や行事に関わっていました。結構忙しい日々だったはずです。つまり、繁忙な時間と、先祖からの悠々と流れている時間と、その双方を背負って生活なさっていたように思うのです。
もしかすると私たちも、この方のようなダイナミックな経験をされる人は少ないとしても、単に一つの流れ時間を生きているのではなくて、二つ、あるいはもっと多くの時間の流れの中に生きているのではないかと思うのです。ある物は几帳面なまでに規則正しく、ある物は悠々として動いている事さえ感じさせないものであったり、緩急激しく時には逆流する物であったり・・・。
私たちはそうした複雑な時間の流れを特別意識する事なく生活しているのですが、時として、その矛盾が負担としてのしかかってくる事があるのかも知れません。
五月は、とかく心身が不安定になりやすい頃だそうです。時には、意識して、悠々たる時の流れの中に身を置いている自分を眺める余裕も、必要なのかも知れません。