雅工房 『 日々これ好日 』

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幸せの賞味期限 ・ 小さな小さな物語 ( 1570 )

「手の平の しわとしわを合わせて  幸せ」
なぜかこんな言葉を覚えています。テレビコマーシャルに使われていたようにも思いますが、昔話のような物にも登場していたのかも知れません。
この「幸せ」という言葉ですが、私たちにはとても身近でよくお目にかかりますし、自分でも使う機会は多いように思います。
ところが、「幸せ」って、どんな状態を言うのだろうかとなりますと、これがなかなか一筋縄では行かないようです。もちろん、書物やネットなどでも、懇切丁寧に説明されていますが、幾つもの項目が挙げられていたり、個人差があり、タイミングの問題があったり、うまく説明するのは、なかなか難しそうです。

この「しあわせ」という言葉は、室町時代の頃に誕生したそうですから、比較的新しい言葉なのです。もともとは、「仕・合わせ」あるいは「為す・合わせ」という言葉だったそうで、「めぐりあわせ」といった意味だったようです。従って、「良い しあわせ」と「悪い しあわせ」とがありましたが、やがて、「良い しあわせ」だけが残り、「しあわせ」といえば「良い しあわせ」を意味するようになり、いつか「幸せ」という文字も当てられるようになりました。「幸せ」という文字が使われるのは江戸時代になってからのことだそうです。
ところで、この「幸」という文字は、象形文字で「手枷(テカセ・手錠のような物)」から生れた文字だそうで、それが「幸運」といった意味を持っているのは、「手枷から逃れられた幸運」といったものと、「残酷な刑罰が多い中で、手枷程度で済んだ幸運」といった説もあるというのですから、「幸せ」が現代に至るも難解な一面を持っているのは当然のことかも知れません。

当ブログで、『日々これ好日』という短いコラムを書かせていただいていますが、この題名を付けました理由は、一日一善、というほどではなくても、自分の身の回りやニュースなどを参考にすれば、「一日に一つぐらいは、ちょっと嬉しいことや幸せに感じることがあるはず」なので、それを書いていこうと思ったわけです。
ところが、書き始めてみますと、これがなかなか大変で、「嬉しいことや幸せなこと」は片隅に追いやられて、「悲しい事件や嫌な事件、時には悪口的なもの」が主流になっているような気がしています。かの清少納言枕草子の中で、「人の悪口を噂するのを咎める人の気が知れない」といった意味のことを書き残していますが、まさに至言だと思います。

とはいえ、やはり、「幸せ」なものに接することは嬉しいことです。自分に直接関係ないことであったとしてもです。
ある、達観したかの人に言わせますと、「何が幸せかどうかなどと言っている間こそが『幸せ』なんだよ」らしいですが、私たちは、日々のちょっとした「幸せ」に接することによって、元気をもらっているように思うのです。人生を左右するような「幸・不幸」といったものもありますが、それほどでもない、「ちょっとした幸せ」を素直な幸せとして感じ取れる感性を大切にしたいと思うのです。
ただ、「ちょっとした幸せは」その気になって求めると、以外に身の回りにあるものですが、その賞味期限は極めて短いものが大半です。一つの幸せを大事に抱き続けることも大切でしょうが、私たちの生活には、極めて短い賞味期限しかない小さな幸せを、見過ごさないようにすることも大切だと思うのです。

( 2022.08.24 )