『 秋来ぬと 』
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる
作者 藤原敏行
( 巻第四 秋歌上 NO.169 )
あききぬと めにはさやかに みえねども
かぜのおとにぞ おどろかれぬる
* 歌意は、「 秋が来たと 目にははっきりと 見えないけれど ふとした風の音に 秋を感じさせられて驚いたよ 」といった感じでしょう。
作者には、『 住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ 』という小倉百人一首に選ばれている和歌も古今和歌集(NO.559)にあります。しかし、掲題の和歌は、教科書などに採用されることも多く、私たちに馴染み深い歌と思われます。
* 作者の藤原敏行は、藤原南家巨勢麻呂流一門の中級貴族です。最終官位は従四位上・右兵衛督ですから、公卿に至らないまでも、貴族として恵まれた家柄と言えます。
さらに、歌人としては当時一流であったと思われ、勅撰和歌集には28首採録されており、三十六歌仙の一人として評価されています。また、能書家としては、空海にも並ぶというほどの高い評価も受けています。
しかし、敏行には、どこか謎めいた部分を背負っているようにも見えるのです。
* 敏行の誕生年は不明です。この時代の人物は、かなり高位の人物でも不明な場合は少なくありませんので特異な例ではありませんが、亡くなった年が、多くの資料が、901 年または 907 年となっているのには若干の疑問を感じます。
* 敏行の官歴を見ますと、866 年に少内記に任官しています。これは中務省の役人ですが、少内記は八位相当程度ですから、公卿家の子息などでは従五位下あたりからスタートする場合もありますので、それほどの評価を得ていない家柄であったと推定できます。この時の年令は、十五歳から二十歳までくらいだったのではないでしょうか。
その後は、順当に官位を上げていき、最終は従四位上・右兵衛督に至っていますので、中級貴族としてはまずまずの官僚生活だったのではないでしょうか。ただ、何度か、病気のため職を辞することがあったようです。
しかし、文化人としては、先に述べましたように一流人物だったと考えられます。
* 作者 藤原敏行には、歌人・能書家としての高い評価と共に、やや不似合いな逸話も伝えられています。
「 達筆で知られた敏行は、多くの人から法華経の写経を頼まれ、二百部以上を書写したが、自身は魚類を食するなど不浄の身で書写したので、地獄に堕ちて苦しみを受けたという。」
「 亡くなった後に蘇り、お経を書いてから、再び絶命したという。」
* 現在に伝えられている敏行の和歌は、現代人にも比較的分かりやすく、優しい物が多いと思われます。残されている伝記を追うよりも、それらの歌を、素直に楽しませていただくのが、作者との正しい接し方なのかもしれません。
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