雅工房 『 日々これ好日 』

関連ブログ 「雅工房『作品集』https://miyabikohboh.hateblo.jp/」 「雅工房『小さな小さな物語』https://miyabikohboh.hatenablog.com/」 

何を信じるか ・ 小さな小さな物語( 663 )

ある大新聞社の「誤報道」が、大きな問題になりつつあります。
現在、わが国が国際社会で最も肩身の狭い思いをしているともいえる「慰安婦問題」が、その報道の根源となる取材が嘘だったというのですから、何と表現すればいいのでしょうか。
その問題に関して、ある人物の記事を載せる載せないで話題を提供しましたが、これは、「言論の自由は自分に都合がいい場合に限る」という主張を表明しただけで、誤報というわけではありません。
今回、同社の社長がしぶしぶ謝罪することになったのは、福島第一原発の事故直後の報道に関するものでした。記事に対して他新聞社からの追及があり、さらに、いわゆる「吉田調書」に関る記事があまりにひどかったためか、官邸が同調書を公表してしまったものですから、その矛盾が明らかになってしまったのでしょう。
しかし、社長が謝罪したところで、危機的な状況の中で事故対応にあたっていた人たちを中傷する記事はすでに世界中を駆け巡ってしまい、一部の国の一部の人たちを喜ばせてしまったようです。
同社は、どの部分で、どの程度の利益を得たのでしょうか。

今回の、社長が謝罪に至った背景には、同社の若手や中堅の社員や販売店などからの突き上げがあっという報道もありました。
もしそうであれば、少なくとも上記の記事などに直接間接かかわった幹部は一日も早く追放して、体勢を立て直してほしいものです。
そもそも、今回報道されている「誤報」というのが、本当に誤報であったのかどうか、「作為」でなかったのかということも、現経営陣以外の手で調査してほしいものです。
ある人物の記事を載せる載せないの問題も、その人物が社会的に発言力があるため問題になったのであって、一般市民などの意見であれば、事の正否など関係なく、自己の都合でどうにでもするのでしょうね。

もっとも、これらのことは、この新聞社に限ったことではないかもしれません。
程度の差はあれ、多くの報道機関が思い当たる部分があるのではないでしょうか。
極端な例ですが、昭和十九年中の各大手新聞の一面記事をチェックしてみるとすれば、果たして、どの程度事実に基づいた報道がなされているのか、自主申告してほしいものです。
きっと、「それは特別な時代だったから」という意見も出てくることでしょうが、戦後の有名な「誤報」事件も、同様の理論がなされているみたいです。
一体、報道をどのように選別し、何を信じて読み取ればいいのでしょうか。

今日の私たちの周囲は情報であふれています。
その情報は、事実をそのまま伝えられているものもあるのでしょうが、その多くは、多かれ少なかれ発信者の意志や利害が組み込まれているものと考えるべきなのかもしれません。
それにしても、わが国を代表するような新聞社だとばかり思っていた会社がこれだけのことをするのですから、言論の自由とか、思想の自由などと立派なことは言えても、私たちの知識の多くは実に脆いものの上に成り立っているように思われます。
まあ、それもこれも、国民のレベルそのものが現れているとも言えるのでしょうがねぇ・・。

( 2014.09.14 )