慈覚大師 (2) ・ 今昔物語 ( 巻11-11 )
( (1)より続く )
釈放された大師(慈覚大師)は、喜び大急ぎでそこを去り、他の国へ逃げて行った。
その途中、遥かなる山を越えると人家があった。見てみると、城壁を堅固に築き廻らせていて、周囲を厳重に警戒していた。その一面に門があり、その門前に人が立っていた。
これを見た大師は喜んで走り寄り、「此処はどういう所でしょうか」と尋ねた。門前の男は、「此処はさる長者殿の家です」と答えた。そして、「聖人は如何なるお人か」と尋ねた。大師は、「私は仏法を学ぶ為に日本国より渡って来た僧です。ところが、仏法を滅ぼそうという世に廻り合ってしまい、しばらくは隠れているために、静かな所にいようと思っているのです」と答えた。
門前の男は、「この場所は、あまり人の来ることがなく、大変静かな所です。そういうことなら、しばらく此処においでになって、世の中が静かになった後に、此処を出て仏法を学ばれば良いでしょう」と言う。
大師はこれを聞いて、嬉しく思って、この男の後ろについて中に入った。すると、即座に門の鍵をかけてしまった。そして、門を入ってはるか奥の方に歩いて行った。大師も一緒に歩きながら見てみると、様々な家屋が重なり合っている。多くの人が住んでいて、騒がしい声が聞こえていた。その傍らに空き家があり、そこを大師の住処としてくれた。
大師は、「このような静かな所に来ることが出来た。世の中が静まるまでここに居よう。それが良いことだ」と喜び、「もしかすると、仏法に関する物があるかもしれない」と思って、あちらこちらと捜しながら見て歩いたが、まったく仏像も経典も見当たらなかった。
ところが、後ろの方に家があるので近付いて様子を立ち聞いてみると、人のうめき声などがさかんに聞こえてくる。不審に思って覗いてみると、人を縛り上げて天井から釣り下げて、下に壺を置いて、その壺に血を垂らし入れている。何をしているのか全く分からない。尋ねても答えない。おかしいと思いながら離れた。
そして、また他の場所を覗くと、そこからもうめき声が聞こえる。真っ青な顔色で、痩せ衰えた者が多勢臥せっている。その一人を招くと、這い寄ってきた。
「此処はどういう所ですか。このように、堪えられないようなことが行われている所は」と大師が尋ねると、這い寄った人は、木の端を取って、糸のように細い肱を差し伸ばして、土に文字を書くのを見ると、「此処は纐纈(コウケチ・古代の絞り染め)の城です。知らずに此処に来た人に、まず物を言わぬ薬を食べさせ、次には肥える薬を食べさせます。その後に、高い所に釣り下げて、体のあちらこちらを差し切って、血を出して壺に垂らし、その血をもって纐纈を絞り染めにして渡世にしている所です。それを知らないで、(このような目に合ってしまったのです。食物の中に胡麻のような黒い物が入っており、それが物が言えなくなる薬なのです。そのような物を出されたら・・欠字になっており、推定部分)食べてしまったような顔をして、誰かに話しかけられても口がきけないようにうめいて、決して物を言ってはなりません。我らもその薬を知らずに食べて、こういう目に合ったのです。何とかして逃げなければなりません。周囲の門は厳重に鍵がかけられていて、容易なことでは出られそうにありません」と書き綴っている。
大師は、これを見て仰天し茫然となった。しかし、気を取り直して、もとの居場所に戻った。
まもなく、食べ物を持ってきた。みると、教えられた通り胡麻のような物を食器に盛って前に置いてある。これを食べるようにしては懐に差し入れ、外に棄てた。食事が終わると、人がやって来て話しかけてきたが、うめくだけで何も言わなかった。
「うまくいった」というような顔つきをして去っていったが、その後には、肥える薬を色々と食べさせた。
人が立ち去った後、大師は丑寅(ウシトラ・北東。比叡山の方角を指すか?)の方角に向かって掌を合わせ礼拝して、「本山の三宝薬師仏(最澄作の薬師如来像)よ、なにとぞ私を助けて故国に帰らせてくださいますように」と祈った。
その時、一匹の大きな犬が現れ、大師の衣の袖をくわえて引っ張った。大師は犬の引くままについて行くと、とても通れそうもない水門(ミズト・水の取り入れ口)の所に出た。けれども犬は、そこから大師を引っ張り出した。
外に出たと思うと、犬は見えなくなっていた。
大師は涙を流して喜び、そこから足の向くに任せて走り続け、はるかに野山を越えて人里に出た。
里人が大師を見て、「どちらから来られた聖人ですか、そんなに走っておいでなのは」と尋ねた。
大師は、「これこれの所に行って・・」と、体験したきたことを話すと、里人は、「そこは纐纈の城です。人の血を搾り取って渡世としている所なのです。あそこに行って、帰ってきた人はおりません。まことに、仏神の助けなくては逃げることなど出来ません。あなたは、この上なく尊い聖人であられます」と喜び、去っていった。
大師は、そこからさらに逃げて、王城(唐の都長安)近くまで来て、様子を窺ってみると、恵正天子が亡くなっていて、他の天皇が即位され、仏法を滅ぼす政策は取りやめになっていた。
大師は、かねてからの念願通り、青竜寺の義操(ギソウ・正しくは弟子の義真らしい)という人を師として密教を学び伝授され、承和十四年(847)という年に帰朝して、顕密の法を広められた、
となむ語り伝へたるとや。
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