わが家の小さな小さな庭も、春の盛りを迎えています。
昨年から植わっている小松菜は、時々ムクドリが食べに来る以外はあまり役立っていなかったのですが、今や黄色い花が見事に咲いて、去年と同じように食用よりも花を楽しませてくれました。それも、花が少し散り始め小さな種のさやが目立ち始めましたから、どうやらお役目を終える頃のようです。
冬枯れの淋しさをごまかそうと、所々に植えているパンジーやビオラだけが僅かに色をつけていた花壇らしい部分も、いつの間にかあちらこちらから球根がいっぱいに目を出し、ぐんぐん伸びて色とりどりの花をつけています。一番早く花をつけたスイセンは殆ど終わりですが、ラッパ水仙は今が盛りです。ムスカリ、ヒヤシンス、チューリップなどが花をつけ、各種のユリなどが次々に新芽を伸ばしています。すでに蕾をたくさんつけているフリージアやアイリスなどを加えますと、わが家の花壇は球根植物たちの天下になっています。
しかも、それらの球根のうち、昨秋新たに植えたものはごくわずかで、殆どが放ったらかしにされているものなのです。球根って、強いものですね。
ところが、その驚くほど強い球根と争うようにして、雑草も姿を現してきました。場所によってはすでに雑草の方が優勢になってきていて、少々手入れをしたぐらいでは、やがて雑草の方が圧倒的に有利になっていくことでしょう。
時々、「雑草という名の草など無い」という言葉を見たり聞いたりします。なるほど、その通りかもしれないと感心はするのですが、わが家の庭では、「無い」はずの「雑草」が、日ごとに勢力を増しています。抜かれても、踏まれても、雑草は実に強いものです。
東日本大地震は、一か月を経てもなお混乱の中にあります。津波被害の凄まじさを見せつけられたうえ、余震も、その回数も規模も近代日本が初めて経験する厳しいものです。
さらに加えて、原発事故がとてつもない被害を発生させてしまいました。これは天災ではなく人災だなどと様々な意見も聞かれますが、何はともあれ、なりふり構わず、あらゆる手段を使って、原子炉を封じ込めて欲しいものです。
その過程において、例えが悪いかもしれませんが、机上の計算のような理論の稚拙さが、生命力にあふれた雑草がわが家の庭を席巻するように、ごく平凡な常識をベースに生きている人たちの知恵に及ばないことが表面化してくることでしょう。
そして何より大切なことは、今こそ私たちは雑草のような逞しさと粘り強さを発揮しなくてはならないのではないでしょうか。それとも、「雑草という草など無い」と自己主張を重ねる人たちの、極めて理知的で高潔なご意見に任せて、沈んでいく祖国を見守り続けるだけでいいのでしょうか。
( 2011.04.12 )