兜率天に昇る ・ 今昔物語 ( 13 - 15 )
今は昔、
東大寺に仁鏡(ニンキョウ・伝不祥)という僧がいた。その父母は、はじめ寺の近くに住んでいたが、子がいなかったので子を授かりたいと請い願って、その寺の鎮守(チンジュ・寺の境内に勧請した守護神。)に祈請して、「もし私が男子を儲けることが出来れば、その子を僧にして仏の道を学ばせます」といった。
その後、程なく妻は懐妊して生まれた子が仁鏡である。
仁鏡が九歳になると、父は自分が願を立てたように、寺の僧について仏道を学ばせた。
最初は法華経の観音品を習ったが、習うと共に習得してゆき、すぐに全巻を習い終った。そこで、その他の経典に移り法文を学んだが、それも皆習得してしまった。また、戒律を守って破るようなことはなかった。また、深山に籠って一夏(イチゲ・九十日間一定の場所に集まって修行する。安居とも。)の勤めを行うこと十余度に及んだ。
このようにして八十歳となり、もはやいくらも生きられない。そこで、「清浄な地を探して、最後の住処にしよう。愛宕山(アタゴヤマ・京都市北西部。東北部の比叡山と対峙して、王都鎮護の聖地。)は地蔵菩薩・竜樹菩薩がおいでになる所だ。震旦(シンタン・中国)の五薹山(ゴダイサン・信仰の聖地)と同じだ。されば、そこを最後の場所にしよう」と思って、愛宕山に行き、大鷲の峰という所に住みついた。日夜に法華経を読誦して、六時(ロクジ・・僧が念仏・読経などの勤行をする時刻。具体的には、午前六時から四時間ずつ、晨朝(ジンチョウ)・日中・日没・初夜・中夜・後夜とし、その総称。)に懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を行った。
その間、衣服を求めることなく食べ物も選ぶことがなかった。破れた紙衣(カミギヌ・紙製の衣服。紙子。)と目の荒い布の衣を着ていた。あるいは、破れた蓑をかぶり、あるいは鹿の皮を身にまとっていた。
人に見られても恥じることはない。寒さを忍び暑さに堪えて、その日の食事を気にすることもない。粥一杯だけで、二、三日を過ごすこともある。
ある時には、夢の中に師子(シシ・獅子のこと。獅子は文殊菩薩の乗物。)が現れて[ 欠字あり。不明 ]近付いてきた。ある時には、夢の中に白象(ビャクゾウ・白象は普賢菩薩の乗物。)が現れて、彼に仕える[ 欠字あり。不明 ]。「これは、きっと普賢菩薩・文殊菩薩がお護りくださっているのだ」と思った。
このように修行を続けているうちに、遂に百二十七歳にして、心乱れることなく法華経を誦しながら亡くなった。
それから後のこと、その場所に一人の老僧が住んでいた。その老僧が夢の中で、亡き仁鏡聖人が手に法華経を捧げ、虚空に昇って、「私は今、兜率天(トソツテン・極楽の一つで、内院は弥勒の浄土)の内院に生まれて、弥勒菩薩にお会いしようとしているのである」と告げて空に昇って行った、という夢を見た。
これを聞く人は皆尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆