雅工房 『 日々これ好日 』

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聖徳太子 (4) ・ 今昔物語 ( 巻11-1 )

           聖徳太子 (4) ・ 今昔物語 ( 巻11-1 )

     (聖徳太子 (3) より続く)

また、聖徳太子は、鵤(イカルガ)の宮の寝殿のそばに建物を造って夢殿と名付けて、一日に三度沐浴をしてそこに入られた。
そして、翌朝そこから出られると、人間世界の善悪についてお話になった。また、その中で様々な経の注釈書をお作りになった。
ある時、ここに籠られて七日七夜お出にならないことがあった。戸を閉じて、物音一つしない。人々が不審に思っていると、高麗の惠慈法師という人が、「太子はきっと三昧定(サンマイジョウ・仏教語。無我の境地のようなものか)に入られているのだ。邪魔をしてはいけない」と言った。
八日目の朝になって、出て来られた。そばの飾り机の上に一巻の経典が置かれていた。
太子は惠慈法師に申された。
「私が前世で衡山(コウザン)にいた時持っていた経がこれです。先年、小野妹子が持ち帰ったのは私の弟子の経でした。三人の老僧は、私が経典をしまっていた場所を知らなかったので、違う経典を持たせたので、私の魂をやって取ってきたのです」と。
その経典を先の経典と照合してみると、先の経典にはなかった文字が一つあった。この経典も黄紙に玉の軸であった。
また、百済国より道欣(ドウゴン)という僧たち十人が来朝して太子に仕えたが、この僧たちは、「前世において、太子が衡山において法華経をお説きになった時、廬山の道士として、時々衡山に参り、教えを受けたのは私たちです」と言った。

さて、翌年、小野妹子がまた唐に渡り、衡山を訪れたところ、以前にいた三人の老僧のうち二人は亡くなっていた。残っていた一人は、
「先年の秋、あなたの国の太子が、青竜の車に乗って、五百人の従者を従えて東方の空よりやって来て、古い室の中に集めてあった中から一巻の経を取り出して、雲を分けて去って行かれた」と語った。
妹子は、太子が夢殿に七日七夜籠られていたのは、このためであったのだと思い当たった。

また、太子のお妃である柏手の氏(カシワデノウジ・膳氏)がそばに居られた時、太子は、
「そなたは、私に従って、何年もの間私の心と違えるようなことは何一つなかった。まことに有り難いことだ。私が死ぬ時には、同じ穴に一緒に身を埋めよう」と仰せになった。妃は、
「万歳千秋にも渡って、朝に夕にお仕え申し上げようと堅く心に決めていますのに、なにゆえ今日、お亡くなりになる時のことを示されるのですか」と尋ねられた。
「初めあるもの、必ず終わり有り。生ずるものは死す。これは人の常の道なのだ。私は昔、様々の身に生まれ仏道に勤めてきた。そして今、このように小さな国の太子として、妙なる教えを広め、仏法のなかった所に一乗の教えを説き明かすことが出来た。もう、この濁り多き世に身を置こうとは思わない」と答えられた。
このお言葉に、妃は涙を流し、太子の仰せをお聞き入れになった。

     (以下、聖徳太子 (5) に続く)