愛着心の罪 ・ 今昔物語 ( 13 - 42 )
今は昔、
京の東に六波羅蜜寺(ロクハラミツジ・現存している)という寺があった。
その寺に長年住んでいる僧がいた。名を講仙(コウゼン・伝不祥)と言う。
この寺は京の多くの人が講を行う所である。そして、この講仙はこの寺で行われる講に、その度に読師(ドクシ・法会の際に、講師と相対して仏前の向かって右に座り、経題や経文を読み上げる役僧。)を勤めていた。
こうして、十余年の間、延暦寺や三井寺、奈良の寺々の多くの優れた講師たちに向かいあって、その講師たちが法を説き教義を断ずるのを聞いているうちに、道心の起こる時もあった。そこで、自分の後世の事を恐れ[ 欠字あるも不詳。]といえども、世間並みの生活のことを捨てきれず、この寺を離れなかったが、やがて年老いて、遂に命が終わる時にあたって、心乱れることなく亡くなったので、見聞きした人は、「講仙は臨終において正念(ショウネン・臨終において心が乱れなかったことをいう。)を得ており、きっと極楽に参るか、天上に生まれたであろう」と思っていると、少し月日が経って、講仙の霊がある人に乗り移って、「私は、この寺に住んでいた定読師の講仙である。私は長年法華経の説法をいつも聞いていたので、時々道心を起こして、極楽往生を願って、念仏を怠ることなく唱えていたので、後世を期待しておりましたが、ごくつまらないことのために、小さな蛇に生まれ変わってしまいました。そのわけは、私が生まれた時、僧房の前に橘の木を植えましたが、年を経るにしたがってしだいに生長し、枝が茂り葉が栄えて、花が咲き実が成るようになったので、私は朝夕にこの木を大切にして、まだ二葉の頃から実を結ぶようになるまで、常に護って可愛がっていました。その事は重い罪ではないとは言えども、愛執(アイシュウ・深く愛し執着する罪。仏教では、物事に執着し心を寄せること自体が罪とされる。)の過ちによって、小さな蛇の身に生まれて、その木のもとに住んでいます。願わくば、私の為に法華経を書写供養して、この苦しみを抜いて浄土に生まれさせてください」と言った。
寺の僧たちはこのことを聞いて、まず彼の僧房に行って、橘の木のもとを見ると、三尺ばかりの蛇が橘の木の根に巻きついて住んでいた。
これを見て、「あの霊が言っていたことは本当なのだ」と思うと、皆嘆き悲しんだ。その後、すぐに寺の僧たちは全員が心を同じくして、寄進を募って、力を合わせて法華経を書写し奉り供養を行った。
その後、寺のある僧の夢に、講仙がきっちりと僧衣を着けた姿で現れ、笑みを含んで、寺の僧たちに礼拝して告げた。「私はあなた方の協力し合っての善根の功徳によって、たちまちのうちに蛇道を離れて、浄土に生まれることが出来ました」と。
夢が覚めた後、その僧はこの事を他の僧に告げ、彼の僧房の橘の木のもとに行ってみると、小さな蛇はすでに死んでいた。
僧たちはそれを見て、涙を流して感動し、法華経の霊験を尊ぶこと限りなかった。
これを思うに、些細なことのために愛着心を起こすと、このようになるのだ、
となむ語り伝へたるとや。
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