仏教 中国に渡る ・ 今昔物語 ( 6 - 2 )
今は昔、
震旦(シンダン・中国)の後漢の明帝(メイテイ・第二代皇帝。西暦75年没。)の御代に、皇帝は「身の丈が一丈余りの金色の人がやって来た」という夢をご覧になった。
夢から覚めたあと、知識豊かな大臣をお召しになって、この夢の意味するところをお尋ねになった。大臣は、「他国より大変優れた聖人がやって来たというお告げでしょう」と申し上げた。
皇帝はこれをお聞きになって、心に留めてお待ちになっていると、天竺より僧がやって来た。名前を、摩騰迦・竺法蘭(マトウガ・ジクホウラン・・共に中天竺の人。)という。仏舎利(ブッシャリ・釈迦の遺骨)や経文などを沢山持参していた。そして、皇帝に献上した。
皇帝は、この人たちを心待ちしておられて、心から歓迎し深く信仰し崇敬された。
その時、皇帝の行いを受け入れない大臣・公卿が多数いた。いわんや、五岳(ゴガク・道教の五つの霊山)の道士(ドウジ・道人とも。中国在来の道教の僧。)という者たちは、不満を言う人が多かった。「我らが信奉する道教(来世の救済より、現世の不老不死を理想とした。)を尊いものとして、古(イニシエ)より今に至るまで国を挙げて崇拝してきたのに、今さら、異国からやって来た姿も変わっていて、衣服も違っており、わけも分からない者がつまらない書物などを持ってきたのを、皇帝が崇められるのは極めて危いことだ」と思って嘆き合ったのである。世間の人もまた、やって来た者たちを謗り合った。
しかしながら、皇帝は、この摩騰迦法師を丁重に崇められ帰依されて、すぐに新しく寺を建てられた。その寺の名を白馬寺(ハクバジ)[ 欠字あり。一行分程度抜けているらしいが不詳。]付けられたのである。
皇帝は、この寺を建てて仏舎利および経文を納められ、摩騰迦法師をその寺に住まわせて、熱心に帰依しようとされたが、ある道士はそれを見て、「極めてよくない。歪んだ行いだ」と思って、皇帝に「異国よりやって来た禿(カムロ・頭を剃っている姿を軽蔑して表現したもの。)が持ってきた、つまらないことなどを書き綴った書物や仙人の屍(仏舎利を指す。)などを、このように崇められるのは、まことに奇怪なことです。あの禿は、どれほどの人物だというのですか。我らが信奉している道は、過ぎ去った過去や今やって来ている事などを占って示し、人の容貌を見てその人物の将来の善悪を見通し、霊験あらたかな全能の神のような道なのです。されば、古より今に至るまで、皇帝を始めとし奉り、国の上中下の人々は、この道こそを大切なものとして崇めてきましたのに、今まさに棄てられようとしているように見えますので、あの禿と験力を競って、勝った方を尊び、負けた方を棄てるべきです」と申し上げた。
皇帝はこの申し出をお聞きになって、心が動揺し嘆きながら、「この道士の信奉する道は、天のことも地のこともよく占なって知ることが出来る道である。異国からやって来た僧は、未だ能力の良し悪しを知らないので極めて心配だ。術競べをして、もし天竺の僧が負けると大変悲しいことだ」と思われた。
そこで、「速やかに競うべし」とも仰せになられず、まず、摩騰迦法師を召して「この国において、昔から崇められている五岳の道士という者どもが、妬みの心を起こしてこれこれのことを言っている。どうすればよいか」と仰せられた。
摩騰迦法師は、「私が信奉しております法は、古より術競べをして人に崇められてきました。されば、速やかにこの度も術競べをして勝負をご覧に入れましょう」と申し上げて、大いに喜んだ。
皇帝もその答えを聞いて、同じようにお喜びになった。
そこで、日を定めて、速やかに摩騰迦法師と道士と、宮殿の前の庭において術競べをする由の宣旨を下された。
その日になると、国を挙げて上中下の人々が見物した。
東の方には錦の天幕を長く起てて、その内に優れた道士二千人ばかりが居並んでいる。気高く年老いた者共もいる。あるいは、若くて意気盛んな者共もいる。各々学識を磨いて過去の人に劣ることがない。
また、大臣・公卿・孫子(意味不詳。)・百官など皆道士の方に集まっている。道教の経典について知識を確認していて、まことに過去・現在・未来の事などを承知しているようである。
摩騰迦法師の方には、ただ大臣一人だけが付いていて、その他には全く集まる人がいない。但し、皇帝は支援しているように思われる。
道士の方には、宝玉の箱に信奉する経典などを入れて、飾り立てた台に並べられている。
また、西の方には、錦の天幕を立てて、その内に摩騰迦法師ただ一人と大臣一人がいるだけであった。そこには、瑠璃の壷に仏舎利を入れて奉っていた。また、装飾した箱に献上したところの経典を入れ奉っている。僅かに二、三百巻ばかりである。
このようにして、それぞれ術を待っていると、道士の方に「摩騰迦法師の方から道士の方の経典などに火を付ける」と伝えた。そして、その言葉通りに、摩騰迦法師の方より弟子一人が現れて、火を放って道士の方の経典に火を付けた。
すると、道士の方より一人の道士が現れて摩騰迦法師の方の経典に火を付けた。されば、共に燃え合った。炎が盛んにして黒い煙が空に昇った。
すると、摩騰迦法師の方の仏舎利が光を放って空に昇った。経典も同じように仏舎利に付き従って空に昇り、虚空に留まっている。
摩騰迦法師は香炉を取って、瞬きすることもなく凝視していた。道士の方の経典は皆焼け果てて灰になってしまった。
その時、多くの道士は、ある者は舌を食い切って死ぬ者あり、ある者は眼から血の涙を流し、ある者は鼻より血を流し、ある者は息[ 欠字あり。不詳。]死ぬ。ある者は座を立って走り去り、ある者は摩騰迦法師の方に移って弟子になり、ある者は悶絶辟地(モンゼツビャクチ・衝撃の表現。)気を失って倒れた。
このように、不吉な事どもが起こった。そこで皇帝は、これを見て涙を流し、座を立って摩騰迦法師を礼拝した。
この後、経典や仏の教えは漢土に広がって行き、今も盛んなのである、
となむ語り伝へたるとや。
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